鬼房の秀作を読む (48) 2014.vol.30 no.352
蟻地獄ほどの窪みに睡り落つ 鬼房
『地楡』(昭和五十年刊)
一読、ググッと入り込んで来た。
蟻地獄の罠――残念ながら写真や映像でしか触れたこと はないが、何やらとても心誘
われる感じがあった。あのす り鉢状―逆円錐形の空間の、クリアで神秘的なフォルムの
魅力だろうか。
そしてこの句では、何とその「窪み」の中に「睡り落つ」 作者がいる。
死の罠に対して感じる、その中でぐっすりと眠ってみた いほどの心地よさと安定感、そ
のユーモラスなアンビバレ ンツがまさにこの句の妙趣であろう。
また、「ほどの」の軽妙さが、いい諧謔味を醸し出して もいる。
死と隣り合わせの睡り‥‥。
月光とあり死ぬならばシベリアで
生き死にの死の側ともす落蛍
みちのくの凍ての割目が死の戸口
年首荘厳死もまた然り死は怖し
翅を欠き大いなる死を急ぐ蟻
といった、この作者の厳然と「死」を見つめる作品群の中 にあって、この句、死と自身と
の微妙な距離感という意味 で非常に興味深いテキストである。
こんな「非日常」も十分に有り!なのだ。
(宮崎 斗士「海程」)
ウスバカゲロウの幼虫アリジゴクは成虫になるまで数年かかるが、成虫になってからの
命は短かい。私達は真夏の乾いた土の表面のそこかしこにその巣を見付ける。擂鉢形
の巣の中心の穴奥に幼虫が潜む。付近を這いまわる蟻などの小虫に穴の中から砂を噴
射し、ずり落ちたところをすかさず中に引きずり込んで体液を吸うのだ。このため蟻のラ
イオン(ant lion)と呼ばれる。
さて、句集「地楡」発行当時の鬼房は、内臓数箇所に持病を抱え、安眠できる夜は無か
ったようである。殊に寝苦しい熱帯夜などは、明け方の涼しくなった頃に束の間のまどろ
みを得るのみであったろう。作者自身の短かく浅い睡眠をアリジゴクの巣に仮託している
のである。同時にまた、グロテスクな姿を土中に潜め、飢えをこらえて獲物を待ち続ける
虫の生態と、一方では貧しさと戦いつつ常に詩性の 向上を渴望してやまない自分自身
の精神とを同化する。ア リジゴクはすなわち鬼房自身として表現されている。すな わち、
ある意味では作者独特の自虐的な作り方であるが、 鬼房俳句の精神風土を学べば学
ぶ程、この飢餓感が創作 の大きなエネルギーとなっていることに気付く。そして又、 仁平
勝氏が「佐藤鬼房論」の中で指摘されているように、この自虐性こそが鬼房俳句の底流
をなすロマンチシズムに つながっているに相違ない。
この延長上に、「月光とあり死ぬならばシベリヤで」 「陰 に生る麦尊けれ青山河」など
の作品が続いているのである。
(阿部 菁女)
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