「見ゆ」は終止形。現代語では「見える」。「見ゆ」で〈切れ〉が発生し明確に切れる。「縄
文の漁が見ゆ」「藻屑の火」。一句はくっきりとした立ち姿で、悠然と悠久のスケールを感
じる。
縄文時代のような漁なのか、この目の前で行われている漁は縄文時代から営々と続く
素朴な漁なのであろうか、作者は漁を目の当たりに実感している。縄文と言う時代を思わ
せてくれる漁が見えると読むことも可能。その様な漁を実際に見つつ、想念し、人間とい
うこと、生きることを思っている。人は生まれ死にまた次の世代が生まれ、そして縄文か
らいままで生き繋いでいるのだと言うことを、漁を通して思っているのであろう。この内容
を補強、またはより具象化するために「藻屑の火」と書き、原始からの火を連想させる。
そしてそれは、文明の象徴としての火の提示でもある。その様な火である。「藻屑の火」
つまり藻塩焼くのイメージ力によって、「塩」即ち生命の流れをも意味する。「藻屑」の「屑」
は実際には、浜辺に打ち寄せられた藻を燃やしているのだろうが、作者はその火を通し
て自己の存在性を見ているのであり、それは恐ろしく深い闇を内在し、存在するとはどう
いうことか、の提示でもある。
(津のだとも子「現代定型詩の会」)
幸運にも手元に「佐藤鬼房全句集(邑書林平成十三年刊)」がある。鬼房俳句に直接
触れる数少ない文献の一つである。
「縄文」の句は第十一句集『霜の聲』に平成五年の作品として所収されている。平成五
年は鬼房七十五歳で蛇笏賞を受賞した年でもある。風土性作家としての地位を確立し、
円熟期を迎えた時期の代表作の一つでもある。
また、「縄文」の句は無季である。全句集巻末の年譜によれば、母トキエが死去し、呼
吸に異状があり入院勧告を受けるが、強引に拒否したとの記述がある。鬼房自身、老境
を迎え、死への意識も一層強くなった時期と思われる。円熟と老境が重なり、有季定型を
超越した句境の作品である。
鬼房は釜石で生まれ、青春の彷徨、戦争を経て塩竈を拠点とした俳句作家である。「縄
文」の措辞のある作品は全集でもこの一句のみで、「藻屑の火」は、東北地方の土俗的
な歴史、風土の闇を照らしだしている。 「藻屑」は、人間性の卑小さを喩える言葉でもあ
る。下五の「藻屑の火」は俳句への情熱を燃やし続ける鬼房自身の境涯にも見えてくる。
私は塩竈の隣の七ヶ浜で生まれ育った。縄文時代の漁法が近世まで受け継がれ、「漁
火」は、縄文人の末裔である私自身の原風景である。東日本大震災を経て、「漁火」は復
興の灯でもある。この作品は、時代が流れても読者に感動を与え、鬼房俳句の普遍性を
表象する一句として刻まれる。
(小野 豊)