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2014/12 №355 小熊座の好句 高野ムツオ
不易とは地祇が坐すこと葛の花 渡辺誠一郎
松島芭蕉祭の次の日、高橋睦郎さん、宇多喜代子さんと連れだって多賀城のア
ラハバキ神社を参拝した。睦郎さんが創作のヒントにしたいと言うのがきっかけであ
った。多賀城市文化財課の千葉さんに案内していただいた。アラハバキ神社は陸
奥総社宮とともに塩竃からの街道を挟んで祀られている。祭神は塩土老翁神と塩
土老女神という説もあるが、これは後付けであろう。塩土老翁のシオツチは「潮つ
霊」「潮つ路」でもあり、海路をやってきた天津神の案内役とも言われているから、そ
の性格を符合させたものだと推測できる。アラハバキ神は先住の地主神、つまり地
祇である。それが、後来の神に地位を奪われ、客人神として邪霊を撃退する塞の
神としての役目を担わされ、改めて祀られるようになったのだ。邪霊とは、つまると
ころ、元々アラハバキ神を信仰していた先住民の蝦夷のことである。これらは谷川
健一の説に拠って述べているにすぎないが、蝦夷をもって蝦夷を制するという当時
の征服者の論理が透けて見えてくる。アラハバキは荒脛巾と表記する。そのため
旅や足腰の病の神として信仰を集めるようになったが、元々は名前さえ不明の、縄
文の遠い昔からの、先住民の守り神であったのだ。
この句は、そうした有史以前の信仰までも想像させる。蝦夷は文字を持たなかっ
たため、当時の神の名は残らなかったが、アラハバキ神となって今も在り続ける。
神は、人間が言葉を使い続ける限り永遠に存在する。つまり不易なのである。葛の
花の先に広がる広大な原山河もろとも。
台風の目に入る祖父の琉陰も 中村 春
琉陰とは琉球の音階のことで、陽音階と陰音階の二つがあり、後者を琉陰とも呼
ぶ。半音の音を含む五音階で演歌などにも用いられるのだそうだ。音痴の私がこ
んなことを述べても始まらない。つまり、祖父が台風の目の中で民謡を口ずさみな
がら、手仕事でもしている場面を想像すればいい。台風被害の少ない東北とはけた
違いの暴風雨に襲われる沖縄。その地でたくましく生き抜いてきた人の不屈の横顔
が見えてくる。そして、大国の狭間に苦難の歴史を重ねてきた琉球王国も浮かび上
がってくる。
枯れてより明日を思へり鷹の爪 浪山 克彦
無駄骨は折つてみるもの鰯雲 郡山やゑ子
月眩し土踏まざりし鶏の死よ 遠藤 志野
三句とも、それぞれ生きて来たもの、生き続けるものの時空が背後に湛えられて
いる。
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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