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2015/1 №356 小熊座の好句 高野ムツオ
生き物に心臓一つ冬の蝶 小野 豊
生き物にはどれにも心臓があるかという問いは簡単そうで難しいものらしい。一般
に動物は脊椎動物と無脊椎動物に分けられるが、後者には心臓があるもの、あっ
ても働きがさまざまで、果たして心臓と言えるかどうか判断に難しいものもたくさん
あるようだ。サナダムシのような扁形動物、クラゲのような海綿動物には心臓がな
い。棘皮動物のナマコにも心臓はない。節足動物の昆虫やエビ、カニの類には心
臓がある。蝶にも心臓があるが、基本的には胸部から腹部にかけての細長い管に
なっていて、血液ではなく体液を送り出すパイプの働きをしている。蝶が腹部を動か
すと、そこから体液が吸い込まれる仕組みになっているらしい。仏文学者の奥本大
三郎さんから教えて頂いたが、凍蝶というと、そのまま死んでしまうイメージを俳人
はすぐ描くが、事実はそうではなく、温かくなるとまた動き出すという。事実、蝶を冷
蔵庫に入れておいて再び温かいところに戻すと蘇るとのこと。あんなに弱々しく、人
間に捕まるとすぐに死んでしまうような命だが、実は人間よりもたくましいのである。
成虫で越冬する蝶も多く、キチョウはその代表で関東辺りではルリタテハも冬の暖
かい日には飛ぶそうだ。この句は、そんな蝶の生命力に始まって、さまざまな生き
物の命を司る心臓のかけがえのなさを単純明確に言い止めた句である。象も蝶も
同じ心臓によって生きながらえていると知ると、自然の神秘にまた感嘆するしかな
い。
寒の鯉しずみしあとの底知れず 佐々木とみ子
寒鯉は寒中に水に潜んで動かなくなった鯉のことだが、前述の冬の蝶とはまた別
に、潜んでなお意力旺盛といった感がある。それは何より鯉そのものの生命力の
強さによる。新聞紙に包まれたままでも数時間は生きている。寿命も長く記録によ
れば二百年を超す長寿の鯉も居たという。「龍門の故事」もそうした鯉の生態や姿
から生まれた話である。この句の「底知れず」の底とは、やがて春になると滝を登り
龍と化す、そのエネルギーの底のことであろう。人間には計り知れない水底を知悉
している鯉であってこそ龍に変身できるのだ。
素うどんや道頓堀のゆりかもめ 増田 陽一
道頓堀は大阪の繁華街を流れる堀だが、江戸の始めに完成した。以来、限りな
い人間の悲喜劇がこの堀の界隈で繰り広げられてきたことになる。そこにやってき
た百合鴎。想像は自由だろうが、在原業平の漂泊まで連想するのは鑑賞過剰か。
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