鬼房の秀作を読む (53) 2015.vol.31 no.357
除夜の湯に有難くなりそこねたる 鬼房
『瀬頭』(平成四年刊)
〈星屑に祈る戦火に生きのびて〉といふ句が『夜の崖』にある。いや、『名もなき日夜』に
〈夢持たぬ秋の渚の海星かな〉のあることを先づ言ふべきか。だめだ、『鹹き手』一巻が
昭和四十一年から四十二年にかけて書かれた事こそを語らなくてはならない。ああ、『鳥
食』で〈鼻腐の干死こそ惨梅真白〉とまで詠まれては、戦争を知らない僕ら世代がすでに
還暦を迎へ、また迎へようとしてゐる幸せへのお礼を感じてあまりある。『潮海』には〈生
き恥の腐鶏であり水中り〉といふ句も標されてをつた。そして『瀬頭』に〈また一人ありがた
くなる朧雲〉があり「死ぬ(佛になる)ことを有難くなるといふ」といふ註が附されてゐる。
鬼房の入営は昭和十五年の二十一歳。敗戦の昭和二十年は二十六歳。翌年二十七
歳での帰還復員であつた。それ以降、鬼房は生きたのだらうか。分からないんだ。ひよつ
としたら、鬼房は死に続けてゐたのではないか。死ぬ事を生きるといふことが、しかし僕
ら世代には分からない。除夜の湯とは何か。その湯を上がれば、また無駄に一つ年を取
る。鬼房にとつては覚悟の湯であつた。のんびり一年を振り返る僕ら戦後世代の湯では
ない。
鬼房が俳人であつたことを、まさに有難く思ふ。形容や抒情から遠い厳しい表現手段と
しての俳句に身を委ね、「そこね」続けて鬼房は逝つたんだらう。
(島田 牙城「里」)
「俳句研究」平成十四年五月号には、「永遠なれ、鬼房俳句」と題した鼎談が行われ
た。そのなかで談者の一人、矢島渚男は鬼房俳句のユーモラスな一面に掲句を取り上
げ、「除夜の湯でことしも有難くなりそこねたなあ、と考えている。これはリアルで傑作だと
思うよ。」と紹介している。
有難くなるは、これも『瀬頭』の〈また一人ありがたくなり朧雲〉の句に附記しているよう
に、死ぬ(佛になる)ことを有難くなると言うのである。鬼房の本領でもある自虐の一句だ
が、さらりとしたユーモアとしたところが鬼房流である。この句を巻末に置いた『瀬頭』のあ
とがきに鬼房はこう記している。「私はいまも相変わらず、淵から瀬になる瀬頭で、空元
気を出して遊んでいる風であるが、たとえ贋にせよ、古稀童子になれなかったのが残念」
まるで〈除夜の湯〉に続いているようにも読める。となると単なるユーモラスな句と読めなく
なる。本気で有難くなりそこねたのを、残念に思われたのではあるまいか。
昭和六十一年の胃、膵臓、脾臓の大部分を取り除いた大手術の後、鬼房は病と向き
合う日々を過ごした。「寝返りをすると腹の中がボゴボゴ鳴るんだよね」。苦笑まじりに話
していながら、後になって代表句に挙げられる数々の名句が、『瀬頭』に並んでいる。まこ
と俳句の鬼として在られた姿が彷彿としてくる。
(浪山 克彦)
|