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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (59)      2015.vol.31 no.363



         人買が来る熟れ麦の夜風負ひ         鬼房

                                   『何處へ』(昭和五十九年刊)


  数年前に『身毒丸』を観劇した。寺山修司・岸田理生作、蜷川幸雄の演出である。あらす

 じをざっと書くと、死んだ母親の面影を追う息子に父親が「母を売る店」で新しい母を買い、

 家族という容れ物をつくる。しかし所詮作られた容れ物のため、継母と息子をはじめとする

 家族の関係性が崩壊していく、というものだ。劇中、現状から逃亡した息子が仮面売りの

 誘いで地下の世界=見世物小屋に入るシーンがある。その世界ではただならぬもの共が

 犇めいているのだが、なぜか鮮やかで艶かしく、蝋燭を灯したような懐かしさや人間くささ

 がまとわりついている印象をもった。

  掲句を一読して感じたのは、麦が熟れている頃、真っ暗な中で妖しい風のなびく風景だ。

 そこにつかつかと、音を立てて人買が「来る」。すれ違うとか、遠くに見るのではない。作中

 主体は意思を持ち、人買が来るのを「見ている」のだ。今が人を売買するその時か、売買

 の前後か、はたまた違う用事で来ただけなのかなどは特定されていない。しかし、「来る」と

 いう言葉として、俳句にしたまさにそのことによって、「人買がいる現在」は現実味を帯び、

 血が流れる瞬間のような、生ぬるい感覚を思い出させるのである。

  世の中を構成するのは、具体的な人間である。人間の考えの移り変わりが時代の動きと

 もいえる。さて、この人買はきょうびも「来る」のだろうか。麦は熟れている。

                                  (宮本佳世乃「炎環」「豆の木」)



  昭和五十八年作。第八句集『何處へ』に、「幼年記十一句」との前書きが添えられた中の

 二句目に所収。

  一九三〇年(昭和五年)頃から一九三四年(昭和九年)頃にかけて東北地方を中心に度

 々、やませによる冷害などで大飢饉が発生したと聞きます。「熟れ麦」に『古事記』の穀物

 の女神、大気都比売神の死によって「陰に麦が生った」ことを踏まえての先生の一句〈陰に

 生る麦尊けれ青山河〉を思い出し、この人買も、幼い女の子を女郎屋に売り飛ばしにきた

 毛むくじゃらの男を想像してしまいましたが、ご長女の山田美穂さんに伺うと、先生には姉

 妹はおられないとのこと。ただし、栄養失調のために二歳で亡くなられた弟がおられたとい

 うことで、人買いの現実はかなり身近なことであったと想像できます。先生が小学校に入学

 する直前の二月に父、善太郎氏が亡くなり、その後に四男の勇氏が生まれたとのことです

 から、先生の母、トキヱ氏は、昼は魚市場の番台を持ち、夜は魚網を編むという働きぶり

 で、先生は母親の眠る姿を見たことがなかったそうです。

  ところで、五十八年三月に先生は退職され、上京されたり青森や平泉などを何人かで吟

 行されたりと、ようやく気分的にも余裕が出てこられたときだからこそ、幼い頃の暗さを今

 一度鷲づかみするような句を作らんと思い立たれたのではないでしょうか。黒い闇と白い肌

 が交差する、むっとした重たい空気。そのうねり方は、やはり艶のある鬼房節そのもので

 す。

                                         (津髙里永子)





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