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2015/8 №363 特別作品
月の暈 大 西 陽
ほっぺんの色の中よりあめんぼう
昼月や置き物のごと蟇交み
子を持たぬ姉妹なりけり枇杷は実に
公達の貌となりたる天瓜粉
サンティラ大将夕冷えの大百足
朝露に杳と泰山木の花
六月や寝物語の宿場跡
月の暈宿儺南瓜のぶら下がり
落人のごと沖島の花南瓜
梅雨夕焼け滴りさうな城一つ
石榴の実鈴木しづ子のため息か
ことごとく脱け殻となる桜の夜
花の夜や救心丸を懐に
梅は実に女の話尽きはせず
身の隅にユダを宿せし半夏生
シエスタの風吹いてくる花樗
妄想の尽きることなし花カンナ
鱗粉を零して烏瓜の花
皆既月食サボテンの腕伸びつづけ
月のなき闇ふくらませ凌霄花
蛇 籠 渡 邊 氣 帝
つくしんぼ牧童のよう温情派
おぼろ夜のかたまりという生き方も
この蝌蚪の咄は愉快なつづきが
花冷えや欠けたピースを埋めるとき
行間を読めば鳴きつぐ遠蛙
花は葉に素顔に戻り若返る
亀鳴くや吾れに聞こえぬ声出して
舌の根の乾いた同志菜種梅雨
春惜む津軽訛の大き鼻
武具飾る唸るがごとく終る曲
花栗や森の気持でさまよう
あとずさり過去へ過去へと後退る
熱帯夜出合い頭の迷い犬
逢いに来て青いトマトを丸齧り
雪の峰中にあるのは泡立機
青春に正面ありて明け易き
老いし森若き蝙蝠出て狂う
鶴首しておれば蜘蛛の子散らしけり
胸奥に蛇籠ありけり終戦忌
秋風に揉まれて白くなる谺
青 蛙 伊 澤 二三子
春蟬の声降らしをり塞の神
日曜のバスより吐かれ桜人
ポスターも土産の一つ桜狩
公園の砂場を覆ふ花吹雪
チャリンコの風を切りゆく諸葛菜
不動尊裏のくらがり濃山吹
おかつぱでよく笑つた日の桜草
中空へ大欠伸せり紫木蓮
揚雲雀子の歓声の滑り台
歳月を匂ひだしたる海老根かな
新緑の影ながながと弥陀如来
余花の風母の齢を越えにけり
川波に乗りたる日の矢五月鯉
麦秋や白雲を溜め蔵王山
麦秋の真つただ中を歩きけり
抱き上げし赤子新樹のひかり満つ
青蛙日暮れの水をふるはせて
青嵐が合同句碑に渦なせり
翡翠の陽に声乗せて渡し跡
明易や厨に鳥の声溜まる
若葉風 宮 崎 哲
若葉雨会津田島に線路あり
只見線山迫るたび若葉風
地下鉄の頭上夏の日広瀬川
片蔭の多賀城駅や城の跡
田水沸く品井沼駅小さき屋根
千切られし気仙沼線雲の峰
刺巻のマクラギ濡す水芭蕉
花吹雪一緒に乗るや角館
土崎や最後の空襲夏来る
白神の清水を跨ぐ五能線
芥川龍之介の『トロッコ』に次のような一節がある。「トロッコは最初徐ろに、それから見る見る勢よく、一息に
線路を下り出した。その途端につき当りの風景は、忽ち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して
来る。顔に当る薄暮の風、足の下に躍るトロッコの動揺、―良平は殆ど有頂天になった。」
初めて乗ったトロッコからの景色が自分に迫ってくる様子である。小学一年生の時に父に連れられて、海水
浴場まで列車に乗った記憶がある。秋田駅から出戸浜駅まで三、四〇分だったと思うが、良平のような気分
になったことを思い出した。
日本の鉄道は国土の地形条件から、トンネルや急峻な縁を走る線路が多々ある。次から次と窓に迫って来
る山々に吸い込まれてゆくとき、時の流れを感じる。列車に乗って窓の外をただ見ている時間が好きだ。震災
により不通になっていた仙石線が五月三十日に開通した。当時復旧に関わった私も喜びたい。 (哲)
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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