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2015/10 №365 小熊座の好句 高野ムツオ
海からは上がれぬ形して海月 我妻 民雄
腔腸動物である海月は、体の寒天質の部分がよく発達していて遊泳生活に適して
いる。中国沿岸から日本へ多量に漂着するようになった越前水母のように1メートル
以上の大形のものから紅海月と呼ばれる1センチほどのものまで種類は多い。中に
は10メートルを超える巨大なものもあるらしい。形は傘型、鐘型とこれもさまざまだ
が、多くの場合、傘や鐘の下に口があり、だらりと伸びた触手を持っている。浮遊能
力もないわけではなく、傘型では、傘を開いたり閉じたりすることで、口が開いている
反対方向に進行することができる。しかし、常時泳いでいるものは少なく、多くは水中
を漂っている。水流がないと次第に沈み、沈みかけると泳いで浮き上がる。しかし、
そのうち弱って死んでしまうらしい。水流や海流があって始めて海月は生きていける
のである。「海月の骨」の話は「枕草子」や「今昔物語」に出てくるが、この世にあり得
ないものの代表であった。
生物の進化はさまざまだが、その起源が海であるのは間違いのないところだろう。
原始的なバクテリアから多細胞生物が出現し、やがて地上へと進出してきた。海月
の悠然たるありようが、そうした進化そのものを拒絶しながら生きている姿に見える
のは私だけなのだろうか。プランクトンばかりでなく、魚類を餌にする海月もいるよう
だが、ただひたすら海流に身を任せることが生きる唯一の手だてと信じ、自らの意志
で進化することなく、ひたすら広い海原を漂っているように感じられる。この句は、そう
した海月のありようを詠った句である。「海から上がれぬ形」とは、進化ができなくなっ
たのではなく、海月自身が進化を拒むことで選びとった形なのである。
地球上の陸地のみならず月や他の惑星にまで生きる世界を拡大しようとする人間
は、なぜ海月が海から上がれぬ形をして生きながらえているのか、もう一度振り返っ
てみる必要があるのではないか。
地べたに杭杭に針金大西日 松岡 百恵
新聞紙足せば苧殻の火の手上ぐ 瀬古 篤丸
原爆忌ジャングルジムに足あまた 神作 仁子
物のありようをよく見ている句だ。我妻民雄の句もつまりは海月そのものをよく見て
いる句なのである。
日焼子の全身夢の中にあり 杉 美春
ありあまる四肢の先まで昼寝かな 千田 彩花
どちらも昼寝の子の眠る姿を表現したもの。「日焼け子」の全身は現実にありなが
ら、同時に夢の世界で遊んでもいるのだ。後句の「ありあまる」も伸びた手足であると
ともに、未来への力とも感じさせる。目と想像力とが十分働いているのだ。
幼霊も歌を歌ふや赤とんぼ 関根 かな
肩先を貸すから語れ赤とんぼ 水戸 勇喜
どちらも回想の句だが、やはり被災の思いがこもる。
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