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2016/1 №368 小熊座の好句 高野ムツオ
神のみの沖の小島や帰り花 中村 春
神の住む島と言えば、近頃、世界遺産登録がとりざたされている沖ノ島がすぐ脳裏
に浮かぶ。 だが、作者の原郷にこだわるなら、沖縄本島近くの久高島あたりだろう
か。もっとも、南国の印象が濃い沖縄に、帰り花があるかどうか疑わしい。しかし、自
然の移ろいの多様さは、そこに長年住んでいないと気づかないわけで、簡単に南国
に帰り花はないとは断定できないだろう。宮城在住の人なら、神の島は金華山をまず
念頭にするだろう。しかし、「神のみ」という修辞からは、やはり、沖ノ島をイメージする
のが自然だ。島全体がご神体で、今でも女子禁制の伝統を守っている。また、男性
でも神官の他は毎年五月二十七日以外は上陸できない。数も二百人に限定されて
いる。興味深いのは、沖ノ島の神、田心姫神も久高島の神アマノキヨミもともに女神
なのに、久高島の聖域クボー御嶽は沖ノ島と反対に男子禁制であるところだ。久高
島は祝女(ノロ)が祭司で、沖ノ島には女神は嫉妬深いという伝承が伝わっているせ
いのようだ。島そのものが神であるように帰り花もまた神である。しかも、この句では
黄泉の国から戻った幼霊のように感じられる。蘇った幼き魂を島の女神が遠くより、
その母性をもって祝福しているように観賞できるのだ。有史以前の古代から、毎年、
それが繰り返されていたことは指摘するまでもないだろう。
悪路王の鼻と木枯曲がるなり 鎌倉 道彦
悪路王がどんな顔をしているか。想像する手がかりの一つに奥州市埋蔵文化財調
査センターに保管されている悪路王首像がある。元は茨城の鹿島神宮にあったもの
だ。一昨年、目にする機会があった。鋭い眼に大きな鼻が圧倒的な存在感を示して
いる。悪路王はアテルイであるとする説が有力だが、そのルーツは大陸のツングー
ス族系ではないかとも言われている。靺鞨はツングース族の国。すると壺の碑にわざ
わざ靺鞨が記されている謎も解けそうだ。 ツングース族は骨太で一重の細目、唇薄
く、鼻はおおむね低いが、寒さに適応し高い人もいるという。野球の松井秀喜の顔は
ツングース系だそうだ。言われてみれば悪路王の首像にそっくりではないか。この句
は、その鼻と木枯が曲がるのだという。双方の彎曲はそのまま辺境にあって生きるも
のの不屈の力そのものなのである。木枯を背にして屹立する悪路王が私には見えて
くる。
爽籟を聞く薔薇色の馬の耳 土屋 遊蛍
こちらは耳の句。まもなくやって来る冬を感じながら、じっと佇む尻屋崎の寒立馬だ
ろうか。
一日で古ぶ新聞虎落笛 小野 豊
紙面もまたすぐ古ぶ。ここにも時代が感じられる。
天上に櫂の音する小六月 山田 桃晃
雲がまた雲を生みをり小六月 関根 かな
初冬の空もまたさまざまなものを生む。
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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