鬼房の秀作を読む (65) 2016.vol.32 no.369
大寒のすだま寄り添ふ寝入り端 鬼房
『愛痛きまで』(平成十三年刊)
句を一読して思う。「寝入り端」とは眠っているのではなく、醒めているのでもなく、それで
いて、眠っており、醒めてもいる。そんな融通無碍な「あはひ」だと。それは生と死のどちら
にも属さない、だからこそ、そのいずれにも深く根ざした時間なのかも知れない。
そういう場には、かそけきものたちが集まりやすい、と言うよりは、たえずどこにでもいる
かそけきものたちの声が聞き取れるほどの閑かさに満ちている。そして、かそけきものの
代表が「すだま」。漢字を当てれば魑魅となろうか。辞書的には、山林・木石の精気より生
ずる怪物とも人の霊魂とも説明される。
ここでは人に添い寝してくれるのだから、むやみに害をなす存在ではないはず。むしろ布
団の温もりのうちに、深閑とした寒林のひめやかな息吹や、これまで縁を結びながら今は
他界にある人々のたましいが集い来て、幽玄な、そしてどこか懐かしい風景を見せてくれる
のだ。
「大寒」は1年で最も気温の低い時の「あはひ」。ただ生命力という観点で言えば、直前の
最も日の短くなる冬至で底を打つまで衰えたものが、復活の鎌首をかすかに、しかし決然
と持ち上げ始める時ともいえる。厳寒のもと、寝入りの「あはひ」にある作者の命も、蒼く涼
しげな炎を帯び、ふつふつと燃え上がっているようである。
(柳生 正名「海程」)
大変失礼ながら、鬼房先生に関する情報をあまり持ち合わせていない私にとって、一読
して超難解!投げ出そう、逃げ出そう的な思いに捕われた。こんなレベルで鑑賞なんて無
理!とはいえ「すだま」って何?から入ってみた。
すだま「魑魅」山林・木石の精気から生ずるという人面鬼身の怪物ちみ。魑魅魍魎の魑
魅。つまりばけもののことらしい。寝入り端にそんなものに寄り添われるなんて、とてもとて
もお断わりである。ましてや大寒の、とくれば凍り付いて固まってしまう。冷え性にとっては
思うことも辛い。しかし、この句には、そこまでの冷たさやおぞましさは感じ取れないのであ
る。幾度か読み返してみる。と裏腹ではあるが、おそらくそれは「寄り添う」の一言からくる
ものなのだろうか。さまざまな病の症状を抱え、来し方行く末、家族の事、「小熊座」の事等
々を思い伏す身にとって、時としてふるさとの山々が、大寒の厳しくも清潔な冷気と共に蘇
えることもあったのかもしれない。
そんな時の感覚・知覚が総じて「すだま」となったのではないか。いやむしろ「すだま」が寄
り添うとしか言いようがないのである。
近頃では、地球の温暖化に依って、「寒の入り」とか、「大寒」などは、体感的に曖昧な日
々である。
(田村 慶子)
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