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2016/3 №370 小熊座の好句 高野ムツオ
柿凍てて狼絶えし鷲家口 増田 陽一
ニホンオオカミは奈良東吉野村鷲家口で捕獲されたのが日本における最後の生息
情報である。その後も二三の捕獲情報はあったようだが確実性は今一つのようで、
鷲家口の若い狼の毛皮と骨格が生存の最終証明資料となり、それは買い取ったイギ
リス人によって大英博物館に保存されることになった。鷲家口は和歌山と松阪を結ぶ
街道沿いにあり江戸末期の尊皇攘夷で知られる天誅組の終焉の地でもある。
そうした歴史的事実をそのまま伝えたような句だが、上五の「柿凍てて」がやはり動
かない。柿はかつて、一つだけ残し、それを木の守り神として来年の収穫への願いを
込めた。かつて柿は窮乏の冬を耐える貴重な食料でもあったはずだ。しかし、今は収
穫されることもなく、ただ、寒空に凍り付いている。狼のように人間によって絶滅に追
い込まれた訳ではないが、古代から人間の飢餓を救ってきた柿の木の運命も大口の
真神と呼ばれた狼とはさほどの違いはないと作者は凍った柿を見つめているのだ。
私には、どうしてもそのように読めてくる。
鬼のような母の愛情冬泉 阿部 流水
「鬼のような母」といえば、誰もが鬼子母神を思い浮かべよう。人間の子を喰い、己
のあまたの子を育てていた鬼子母神の愛情は、まさに「鬼のような母」の愛情だが、
これはけっして鬼子母神だけにあてはまるのではない。人間の親も子のためには、
時として鬼となる場合もある。いや鬼にならざるを得ない場合がある。そうした母親の
苦しみとそれゆえの愛情を知るのは、おそらく母と同じ齢に達した時なのであろう。そ
の時冬の泉は、この世のものとは思えないほどの音を奏でて湧き上がってくる。
この町を離れぬどんど火とわれと 大久保和子
東日本大震災から五年経た東北の沿岸の町が思われる。去らざるを得ない事情を
抱えた人は立ち去り、残らざるを得ない事情を抱えた人は残った。いずれの心情も
複雑としかいえないものがある。しかし、これまで、その地を護ってきた神はたとえ人
がみな去ろうとも父祖代々の霊魂のために永久に残る。その神の火とともに生きよう
と決意が伝わってくる句だ。
未来とは臘梅の香に触れてより 日下 節子
未来図のなき未来あり寒の虹 丹羽 祐子
しかし、未来はどんな形であれ、目前に拡がるもの。前者は、その来たるべき時を
実に向日的に捉えた句。半透明の屈託したような臘梅の香が運ぶ未知の時間はさま
ざまな夢想を呼ぶ。後者は、未来には未来図などはないという。しかし、悲観している
わけではなさそうだ。それは、はかないが厳しい寒気に生まれた虹の強さが一縷の
希望を伝えるからである。
墓もまた宿と思へば冬の靄 瀬古 篤丸
蟷螂の怒りのままに死んで雪 久保 羯鼓
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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