小 熊 座 2016/4   №371 小熊座の好句
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     2016/4  №371 小熊座の好句  高野ムツオ



    踏まずして薄氷に乗る自由の身        津髙里永子

    北極の氷解けゆく南無阿弥陀         清水 里美

    福島の慟哭として春氷              根木 夏実

    消しかけの黒板のよう薄氷           松本 廉子

  佳句の中から春の氷を題材にしたものを並べてみた。以前から気になっていたが、

 「初氷」と「薄氷」との混同は避けたい。かつて通学途中の子供たちが夢中になって足

 で割ったのは「初氷」。やがて、氷は厚さを増し、毎日どこでも見られるようになる。そ

 して、子供たちは関心をよそにしてしまう。少なくとも私の子供時代はそうであった。

 子供たちの関心が、春の野山へと移行し始めた頃、池沼や川に薄く張っては解けて

 消えゆくのが「薄氷」である。だから、踏んづけるのはもちろん、その上に乗ろうとする

 のは危険、もっての他ということになる。もし、乗れる身があるとすれば、たぶん、こ

 の世の外の人である。里永子の句の「自由の身」とは、現世の柵や枷から解き放た

 れ幽明にある身のことだろう。さまざまな辛苦艱難を脱ぎ捨てた魂の姿。もっとも、作

 者が長年勤め上げた職場に別れを告げることになったという個人的な事情に沿うな

 ら、これは、その解放された心の自由さを誇張して表現した句とも読めてくる。どちら

 に受け取るか、それは鑑賞者の自由だが、すぐにでも消えてしまう「薄氷」であってこ

 そ、この句の世界は生きる。

   二句目は、地球温暖化による解氷であろうから、厳密には無季として読むべきだ

 ろう。しかし、「流氷」や「氷解」の季節感は存在しているので春の句とすることもでき

 ないわけではない。これもどちらに読んでもいい。「南無阿弥陀」は極楽往生を願う名

 号だが、人間の力の及ばない自然の厄災から身を守り安寧を願う唱名として広く用

 いられてきた。温暖化は人間の仕業。だが、その自分たちの仕業がもたらす凶事か

 ら逃れようがなく、ただ祈るしかない人間のあさはかさへの批評が、この句の「南無

 阿弥陀」には籠もっている。三句目は春になってまた生まれた氷への感慨。福島の

 人々の心の中には真夏さえも氷は張り詰めるのかもしれない。四句目は、薄氷その

 ものの質感を実に的確に捉えたもの。確かに薄氷は黒板に何度も書かれ、消され、

 しかし、いつまでも残るチョークの文字の色そのもの。これもまた、人の心の中にい

 つまでも残っている氷といえようか。

    梅三分はらから四分五裂して          坂本  豊

  三、四、五の数字が思いがけないインパクトを伝える。四分五裂になった人々の心

 はまさに八裂きになっているのだ。

    けものらは看取られずゆく雪解川        船場こけし

  冬眠の獣らの死亡率はどれくらいか知らないが、春を迎えられず死に至る数はか

 なりに上るに違いない。作者が医に携わる者と知ると、その思いはより深い。

    春遅々と端すり切れし絵心教          中村  春


   「絵心経」は字を読めない人のための経文。





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