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2016/5 №372 小熊座の好句 高野ムツオ
東京で暮らす鳥たち霾ぐもり 大場鬼怒多
三上修著の『身近な鳥の図鑑』を先日読んだ。町に住む鳥の生態についてわかり
やすく紹介した本である。身近でありながら、実はよく知っていなかった鳥の生態につ
いていろいろ教えてくれる。例えば、雀も燕も都市を住処とするが、その理由の一つ
は危険度にある。森や林と人間界を比べたとき、如何にいたずら好きの人間や猫、
蛇がいようとも後者の方が安全なのである。弱者としての切羽詰まった果ての選択な
のだ。しかし、近年の都市化の進展による建造物の構造や餌となる虫の減少は、そ
のまま鳥たちの個体数の減少につながっている。雀も燕も必死の生なのだ。そういえ
ば燕は条件さえ整えば十年近くも生きられるという説を思い出した。それなのに現実
の寿命は1年半ほど。想像を超えた過酷な生を営んでいるのだ。そうした鳥たちの上
に、今黄砂が降ってくる。その脳裏には何が思い浮かんでいるのだろうか。
血縁は荒縄のごと梅の花 渡辺誠一郎
一読、誰もが思い浮かべるのは「禍福はあざなえる縄の如し」という慣用句だろう。
それを念頭にして、あえて血縁としたのである。血縁は群れる雀のあり方同様、生き
るための集団化の支え、連帯の基盤である。それは生物学的な血のつながり以上に
親子、親族という認知の問題であるという考えもある。だが、その血縁が憎悪を生み
禍をもたらすこともある。その解き難い、よじれもつれた関係の有り様が、「荒縄」とい
う比喩に込められている。
この句は、無心一途に咲く梅の花との対比が実に印象的だが、寒風沢島で生まれ
たものである。寒風沢島は人口百七十名ほどの小島。震災前の人口はもっと多かっ
たが、それでも数は知れている、血縁関係の濃さは島特有のものがあったに違いな
い。そのことを踏まえると、この島に繰り広げられて来た悲喜愛憎まで見えてきそうな
思いにもなるのである。
球形にならぬたましひ春の雨 関根 かな
『魂の形について』は多田智満子のエッセイ集のタイトルだが、この不可視のもの
に人間はさまざまな形を思い描いてきた。丸い鏡や水晶、火の玉、飛び去る白鳥。し
かし、元々魂に形などはない。作者は形はあるが、決して球にならないと主張する。
どんな形であれ、それは必ず歪むというのだ。この屈折した思いこそ魂、そのものへ
の思いである。そうした作者へ今、慰藉のように春の雨が降りしきる。
珊瑚礁隆起はじまる春の月 中村 春
珊瑚礁は台風などによって短時間で形成する場合もあるそうだが、一般には何千
年もかけて沈没と隆起を繰り返してできる。この句はまるで原初に還ってその隆起の
さまをスローモーション映像のように見ている句である。春の月のイメージが詩的リア
リティを生んでいる。まさに春の夜の幻想。
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