鬼房の秀作を読む (68) 2016.vol.32 no.372
鬼貫の齢を生きて門火焚く 鬼房
『愛痛きまで』(平成十三年刊)
佐藤鬼房氏の謦咳に接することができたのは1997年に催された「攝津幸彦を偲ぶ会」
でのことであつた。私は九州に住んでゐるので、東北を拠点に活躍する氏との接点を持つ
ことはなかなかに難しいことであつたが、このただ一度の機会における幸運は忘れられな
い。
さて、この作品である。氏が鬼貫の生きた年齢に達したときの感懐が如何なるものであ
つたかは推測の域を出ないが、「誠のほかに俳諧なし」と悟つたといふ鬼貫の思ひに共感
するところがあつて、「鬼貫の齢を生きて」といふ措辞が選択されたのかとも思つてみる。
氏の生涯を通しての俳句に対する真摯な態度は、さう思はせるに少しの不思議もない。そ
の一方で両者の俳諧・俳句に対する姿勢の相以をのみこの作品に求めるのは適当でない
といふ思ひもある。むしろ「鬼貫」「鬼房」といふ名前の響き合ひにこそこの作品の特性は
あるのではないかといふ思ひが、作品を読み返すたびに強くなる。音読すればそれは一層
よく理解されよう。作者名まで含めて一句を読めば、この句は別世界にあるやうな立ち姿
になる。人の名の持つ力であらうか?不思議な気がするが、恐らくこれが俳句の面白さで
ある。氏もそのことは十分承知のうへで響きが我が名に通じる「鬼貫」を呼び出したのであ
らう。晩年に近い氏が門火を焚く姿が髣髴とし、粛然とさせられる一句である。
(横山 康夫「円錐」)
先ず鬼貫と鬼房と、鬼の名前の連続に目を奪われて、門火を焚く位だから何らかの系譜
を考えるけれど、この二名家に共通のものはあるのだろうか。鬼貫といえばすぐ頭に浮か
ぶのは〈行水の捨て所なき虫の声〉であり〈にょっぽりと秋の空なる富士の山〉なので、あま
り共通のものがありそうではなかった。鬼貫は兵庫県伊丹の人で、はじめ談林派の俳諧に
心酔したが25歳の春「誠の外に俳諧なし」と語り、狂句や作為の句を止めて、率直、平易
な作風を見せ、口語調も試みたそうである。「誠」とは何を言ったのか、調べてみたら蕉風
の確立に先んじた、と言われる、
ひうひうと風は空ゆく冬牡丹
曙や麦の葉末の春の霜
などの句があり、この辺なら鬼房にも通うのではないかと思われた。鬼貫の生涯は1661
〜1738だから77歳没、忌日は旧暦八月二日である。鬼房も病と闘いながら、鬼貫の齢
は生きた、と蕉風の系譜にかよう親愛感を持って門火を焚くのであろうか。
この句は、82歳までの作品集で最後の『愛痛きまで』所載。あとがきに、表題は前句集
『枯峠』収録の〈愛痛きまで雷鳴の蒼樹なり〉から採ったとし、「頽齢多病であるが、せめて
精神的に蒼樹でありたいためである。」と記している。
私などはこの精神の強さにただ憧れるのみである。
(増田 陽一)
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