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2016/6 №373 小熊座の好句 高野ムツオ
凭りかかる柱もなかり春の空 日下 節子
駘蕩たる春の空は、何もかも受け入れてくれる無限の包容力がある。凭りかかるも
のがないのは、自明と言えば自明である、にもかかわらず、あえて「凭りかかる柱」が
ないと表現されることによって、やすらぎに満ちた空間に、どこか茫漠とした寂しさが
生じてくる。まるで広い胎内に浮かびながらも、言い知れぬ深い孤独に囚われている
かのようでさえある。「柱」は文字通り、門や家などあらゆる構造物を支えるもの。だ
が、一族や家族を支える存在のことをも指す。�さらには神仏のように、生きる心の
支えそのものを指す場合もある。この句の柱をどうイメージするかは、鑑賞者の自由
だが、句の背後に、一人の女性の、寂寥に湛えながらも前向きな、これからを生き抜
く強靭な意思が張り詰めているのを受け止めるのは筆者だけだろうか。
日暮れ呼ぶ波の力や松の芯 小笠原弘子
こちらは自然観照とでも言うべき句の姿だが、やはり、ここにも作者の生へ向かう
強い思いを感じ取ることができる。それは闇に包まれ始めた波から、いっそうの高ま
りを受け止めている感受性そのものにある。そして「松の芯」が、そのエネルギーを
倍加している。
堆積し踏まれ返され春の土 宮崎 哲
「土」。念のため辞書に拠れば、広くは地球の表面を覆っている地表全体のことで
ある。さらには、その岩石や地層が風化し、そこに多くの生物の遺体や腐食変化の
集積が加わった物質層のことを指すという。さらに火山の噴火や洪水などによって堆
積したものも加わるだろう。俳句での「春の土」は一般には田や畑の土を指すが、こ
こにはさらに人為的な肥料と呼ばれる無機物�、有機物がたくさん混じっている。この
句は、そうやってできたいわゆる土そのものを、土の立場から詠ったものだ。人為も
入ってはいるが、たくさんの植物を育てる魔法の世界そのものである春の土への賛
嘆が、この句を生んだといえよう。
天に人をらぬ薄墨桜かな 津髙里永子
「薄墨桜」はサトザクラの一品種をも指すが、岐阜県本巣市にあるエドヒガンザクラ
の古木の名でもある。残念ながら、まだお目にかかったことはない。千五百年以上も
の齢であるらしい。桜には、この世の外の世界を想起した俳句は多い。しかし、この
句では人は天には居ないと断定している。人は生きてこそ、この世の存在であり、死
ねば無そのものでしかないとの、当然だが、厳しい認識が根底に横たわっている�。
この世のものとは思われない薄墨桜を見上げながらの発想であるところに、意外な
ほどのリアリティが生まれた。
たんぽぽは絮に夕べは白骨に 清水 里美
「朝に紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」は蓮如上人の言葉。それを踏まえて
いる。
春光や鎖骨はばたく形して 千倉 由穂
なんとなくへそ掻くほどの春憂ひ 樫本 由貴
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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