優れた言語家のピークは明瞭だ。ピークとは個がその個であることを証す最良の作品の
存する場所を云う。
鬼房のピークは無論〈ばかものと言ひきる暗き沼の前〉(『名もなき日夜』)を擁する初期
句群に置かれるべきであろう。戦後、思想と行動が言語をリードした時代、兜太、六林男と
競い、殊に実践的な詠手として疾風怒濤を生きた頃の鬼房作品は、現代も我々を惹きつ
けて止まない。
では、強靱な語気から数歩退いたようにも見える晩年の句は、若く雄々しかった鬼房の
残照でしかないのだろうか?
答えは否である。句作は意志を映す鏡であると共に、解き明かせぬ心裡を運ぶ船でもあ
る。〈凩をめくつてひそむ天邪鬼〉(『愛痛きまで』)八十代の作品には内的凝視と感性が際
立つ。鋭い表徴や喩はもとより俳人に備わっていたものだった。しかし、先ず血や骨、さら
に弱者を庇う盾として行使される鬼房の直截な言葉を愛してきた読者は、顎をはずす韜晦
的な悪魔に戸惑うかも知れない。が、戸惑うには当らない。
なぜなら、鬼房の終章に残されたこの文芸的な悪魔は、座を同じくして彼に続く者たちに
おける次代のピーク、即ちムツオの寓意的な「まだ生きており北国の箱男」、誠一郎の清
艶な「あわれとは水飲みにくる菊人形」へ、はっきりと連なっているからである。
(松下 カロ)
私が先生と実際にお目にかかれたのが、前句集『枯峠』の後半ぐらいからであるので、
この『愛痛きまで』に収められている句は私にとっても愛着のある句ばかりである。この時
期すでに先生の身体はずいぶんと病に侵されていたはずなのだが、掲句の「暑き」「悪魔」
「頤」と続くア音の頭韻が、諧謔味を帯びた内容と相俟って、病などにへこたれてはおられ
ないといった勢いを感じさせる。「暑き」「悪魔が」「頤を」と読んでいくうちに「あっ」と、こちら
の頤までがはずれそうになるから愉快。この暑さにさすがの悪魔、たとえば病を余分に引
き連れてくるような厄介な奴が卑しい頤をはずして喘いでいるときが、皮肉なことに先生に
とっては体調が上向きになっているときなのである。オレは暑さなどには負けん、病の苦し
さに比べればなんのそのと、ほくそ笑んでいる先生の嬉しそうな独り言が聞こえてきそう。〈
残る虫暗闇を食ひちぎりゐる〉(『瀬頭』)のあたりは「暗闇」「食ひ」「ちぎり」「ゐる」とウ音イ
音の収縮感から先生は歯を食いしばって病に堪え、畢竟、自分を責めているような印象を
受けたが、その後、たとえば同句集の〈神を閉ぢこめ暴發の威銃〉などに見られる、あの
世とのかけひきの度合いがわかってきて、病をも客観的に突き放してつきあえるようにな
られた時期が『愛痛きまで』のころであったのではなかろうか。
(津髙里永子)