2016/7 №374 特別作品
風 鐸 永 野 シ ン
かたくりの万の一つは観世音
螺子山にプラスマイナス蟇の恋
クレソンの花ひっそりと鏃門
雨雲の下のあかるさ橡の花
少年はいつも腹ぺこ麦の秋
夕暮れを告げる鐘の音著莪の花
鉄線のひとつが飛んで空に咲く
十八の空は乳色犬の宮
川風に身をまかせおり野萱草
雉鳩の声のくもりやさくらんぼ
実桜を踏みて周平記念館
泣面山に日暮来ており蟬時雨
湯殿山より紅花色の月上る
風鐸の鈍き音して大西日
宝塔より高きに咲いて桐の花
飛ぶ夢を諦めきれず蝸牛
囀りを入れて水族館閉す
地のくぼみ空のくぼみや夏の蝶
舟唄の風に乗りくる麦の秋
月山を遥かに青田風の中
戸 袋 蘇 武 啓 子
アスファルト道路の一点落椿
戸袋の節穴春日拾いけり
閉院の緑の十字竹の秋
よく笑う母のポケットふきのとう
三月の埃引きずる戸車は葉桜や
杉山を背にして桜吹雪かな
雲中供養菩薩薔薇の芽数多
初燕窓より猫が顔を出す
準急は昭和の列車陽炎える
夕空へ放りし下駄や遠郭公
薫風を纏って入る文学館
五月来るラジオ体操二二三
お好み焼ひっくり返す梅雨晴間
ミシンもて夏服を縫う母の背
葉桜や戸組体操の城が立つ
製糸工場跡の小道桜の実
石蹴りの路地に迷いし蟻の列
母と子の絵本の時間遠蛙
足振って長靴を脱ぐ夏燕
胞衣塚のきんかんまろきまろきかな
三面鏡 大 西 陽
空引き裂いて白鷺の鳴く声は
栗咲いておもたき夜のはじまるか
黒雲のばさと集まり青鷺来
香水にまみれイエスの肋骨
老桜や一夜の雨月物語
守宮鳴く三面鏡に貌三つ
蝙蝠の心音赤き月のぼり
竹皮を脱ぐ月光の生ぐさき
春雷や掌に乗るマリア像
五月来る上目遣いの陶狸
少しだけ背伸びしてアーティチョーク
潔白という足袋をはく女かな
栗の花落ちておとことおんなとは
海月飼ううわさ欲しがる人となり
笄の桜に魂の宿るころ
白隠の弟子になるまで牛蛙
出口なき暑さよ夜の熱帯魚
牡丹散るとき青白き炎立て
アブラカタブラ棒立ちのアマリリス
烏の豌豆戦争はじまるぞ
風の色 佐 藤 弘 子
連翹に浸り切れない耳ふたつ
フレコンバッグの下の土筆よ瞋るべし
桜しべ降るさあ遊んではをれぬ
おぼろからふはり戻つて猫となる
菜種梅雨地祇鎮まらぬ肥後豊後
逃水の向かうを母の盲縞
藤房の稚きがはや揺れやうと
父ごゑの幽か雀の担桶の穴
遠つ人も雀の担桶も風の色
句読点ほどの蕾を五月の沙羅
四、五歳ぐらいまでだったろうか、よく林檎畑で遊んだ。一年生になった姉は、そうそう妹ばかりを相手に
してはいないから、私は私で工夫して一人遊びをするのが常だった。
林檎作りはまだ雪の残る頃から始まる。剪定や樹皮の苔掻き、消毒を数回と、春先の作業だけでも大変
だ。然し若かった父母はよく動き、寧ろ生きいきとしていたように思う。
楽しみだったのは小昼どき。父は得意そうに草笛を吹いた。割と植物に詳しかった母からは、畑の草の名 をひとつひとつ教わった。
ことに鮮やかな記憶は、ある日父が小さな掌に載せてくれた雀の担桶。刺虫の繭である。コ
ツンと固く灰色で渋い茶の蹣跚縞が可愛い。
歳時記では夏、例句は極端に少ない。庭木の股に見掛けると何処かが疼く。決して哀しい訳ではない。父
もいた。母も――。私を置いてさっさと逝ってしまった姉も確かにいた。その頃の懐かしく甘やかな情景が甦 って、少し切なくなってしまうだけのことなのである。
(弘子)
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