蛍は求愛行動のために光るといわれ、古来より日本文学では、発光行動を愛の表現と
結びつけることがあった。「声はせで身をのみこがす蛍こそ言うよりまさる思いなるらめ」
(源氏物語・蛍の巻)。山紫水明の地に、まるで地底から湧くようにたくさんの蛍が上昇し、
周囲を照らしつつ夜空を飛びゆくさまは、命の儚さよりも、むしろ生命力の強靱ささえ感じさ
せる。
ところが、句の下五はそれと対照的な「胸苦し」なのである。鬼房は『霜の聲』のあとがき
で、「私は私なりの肉声をさらけ出したにすぎない」と書いているが、彼はその肉声で何を
表現したかったのか。同句集収録の「死に至る病を連れて青き踏む」や、彼を生涯苦しめ
た病を思えば、自身に巣くう病魔への嘆きと考えるのがセオリーだろう。
しかし、筆者は、鬼房が蛍と同化して厳しい自然を生き抜く「苦し」さを感じていると読みた
い。なぜなら、彼の作品の底には弱いものへの愛情が溢れ、視線はつねに弱者に向けら
れているからだ。眼前の弱いものらの前に、鬼房の精神は剥き出しのまごころを見せる。
また、有名な「呼び名欲し吾が前に立つ夜の娼婦」等の句に顕著だが、鬼房の句には時
に直截な表現、率直な心情の吐露が見られる。まさに肉声が、彼が表現する内容の切実
さ、痛々しさを際立たせている。(文中敬称略)
(後藤 貴子)
この、「地より湧く蛍火」と「胸苦し」との構成からは、日本の伝統的な季節の風物としての
蛍の情緒は少しも感じられない。むしろ、蛍科の昆虫にある奇怪さ、怪しさが剥き出しにな
り、肉体の苦痛に呼応して、よりリアルである。
多くの蛍科の幼虫は鎧を着た蛆虫の如き姿で、陸生の貝類に毒を注入して麻痺させ、そ
の肉を溶かして吸収する。幼虫も光るし、羽化しても翅を持たず幼虫時の鎧のような体節
のままで居るアキマドホタル雌のような種類もある。成虫が発光するのは雌雄が呼び合う
ためで種類によって発光のリズムが異なり、互いに同種の相手を識別するのだけれど、中
にはフオツリス属の雌のように他種の光のリズムを真似してその雄を誘き寄せて食べてし
まうという怪物も居る。「地より湧く蛍火」とは、幼虫も蛹も光る源氏、平家かもしれないし、
中にはクロマドホタルのように地上に居て発光する幼虫のうごめく姿だとすれば猶、胸苦し
さのイメージが迫ってくる。
この句は鬼房の第十一句集『霜の聲』所載で、この時期は 「晩春の山の腰ゆく胸騒ぎ」
「胃なし餓鬼にも晩涼の母港あり」 など苦しげな句も並び、入院、手術も受けている。そし
て、その題材の自然を生かしながら、それに託して自身の生理的苦痛を超えて造形したも
う一つの名作、
吐瀉のたび身内をミカドアゲハ過ぐ
と双璧である。
(増田 陽一)