2016 VOL.32 NO.376 俳句時評
一つの対談から
渡 辺 誠一郎
久しぶりに面白い対談を読んだ。
〈「存在者」をめぐって―それぞれの俳句観」〉をテーマとした、金子兜太と大峯あきらの
対談である(「俳句」7月号)。
あらためて二人の経歴を見ると、兜太は大正八年、埼玉秩父生まれ。加藤楸邨に師事し
昭和三十七年に「海程」を創刊している。かつては「社会性俳句」「前衛の俳句」の旗手とし
て活躍したことで知られる。一方、大峯あきらは、昭和四年、奈良生まれ。哲学者にして僧
侶。高浜虚子に師事。宇佐美魚目や岡井省二らと「晨」を創刊し代表同人。俳句表現を
「宇宙性」の中でとらえ、俳人自身が宇宙そのものを映す存在としてあるべきとする。
俳句歴から見ても両者の接点は薄いのだが、対談のなかで、俳句の来し方を重なり合わ
せることで、共通点と違いとが明らかになっているのが興味深い。特に東日本大震災に対
する姿勢が鮮明になっていくところは読み応えがある。
金子は、この対談で、大峯が蛇笏賞の受賞作となった句集『短夜』のなかで、震災句が
一句 ― 〈はかりなき事もたらしぬ春の海〉にとどまったことについて、齋藤愼爾の言葉を
援用しながらその理由を問いただしている。
これに対して大峯は、率直に、「あの一句で震災に関する自分の考えをごまかさずに言っ
たつもりです。」と述べ、逆に数の問題なのかと問い返している。また「一句しかできなかっ
たからですよ。」とも、さらに、「あの句が全てだと思う。」と述べている。
普通の対談だとこれで終わりとなり、次の話題に移ってしまうものだ。しかし、金子は大峯
に対して、さらに次のようにストレートなもの言いで問い続ける。
「だって、この句、つまらない句ですよ。〈はかりなき事もたらしぬ春の海〉。いかにも客観
的に、ただ作っているだけの感じで、あなたらしくないなあ、あなたのあの事件に対する誠
意がみとめられない。」。また、「一人の学者と言わず僧侶と言わず、作者、俳人、ものを
作る人間、ものを考える人間があの大事件に対してこの程度の一句で止めたと云うことが
本心かどうか聞きたい。」と。
これに対して大峯は、「この世で起こっていることは想定外です。悲惨な不幸をもたらした
大変なことをやった海が、何事もなかったような顔をして青く横たわっている。これは想定
外です。」と返答している。さらに、表現が止まっているのは、自らの「能力の限界」と言い
つつ、「〈はかりなき事〉とは、人間がいいと思っているとかを超えた出来事」であると語る。
〈春の海〉については、蕪村の〈春の海終日のたりのたりかな〉のような「のどかなことを言
っているんじゃない。我々の当然の疑問に対して何一つ答えないで存在するだけだという、
その自然を言いたいわけ。」と率直に自解している。
二人の話は、もちろんこれで終わらないのだが、金子の執拗とも思える気迫のこもった問
いが、この対談を刺激的にしている。通常の対談に見られるような、なあなあ的な空気がこ
こにはない。当たり前といえば当たり前なのだが、近頃の対談ではなかなかお目にかかれ
ない。突っ込んだやり取りは稀である。それゆえ詰まらないのが多いのだが、金子の全身
を込めた矢のような問い掛けは気持ちのいいものだ。他方、大峯も疑問をまっすぐに受け
止めている。自らの宇宙観を踏まえた、射程の長い俳句観を語りながら、応えているのは
好感が持てる。
これらのやり取りを踏まえて、改めて、大峯の蛇笏賞受賞の言葉を見てみると、自らの表
現を次のように二つに分けて説明している。 哲学者としての 「宇宙分析的という哲学的
思索」に対して、俳句の試みは、「宇宙をそのまま受け入れる詩的直観のいとなみ」である
と。しかしそれゆえ、なおさらのこと、宇宙の一つの小さな軋みである地震・災害の一句とし
ては、大味で達観したような作品ではないかとする金子の疑問は理解できる。
しかし、宇宙論は別にしても、また俳句の良し悪しは別にしても、やはりあの大震災を、
一俳人としてどのような実感を持って受け止めたのかが問われているのだと思う。大峯に
は俳句にするには実感が乏しかったと言うことらしい。それゆえ、今回の俳句も、宇宙総論
的な世界にとどまっている印象が強い。
実感が伴わなかったとなれば話は別になるが、一方、今回の大震災が、被災地のみなら
ず、各地の多くの俳人、そして、新聞俳句に象徴される市井の俳句を愛好する多くの人々
が、筆を取り、作句することでどんなに励まされてきたのかを見逃すことはできない。この
現実を、俳句のあり様として、改めて俳人は受けとめる必要があると思う。俳句を作ること
の意味を考えないわけにはいかない。この国では、今までも多くの災害が繰り返されてき
たが、今回の大震災ほど、俳句のみならず多くの詩歌が詠まれたことはなかったのではな
いか。その意味では、我々の社会が、本当の意味での大衆化社会になったと言えそうだ。
それはまさに、内実ともに成熟した社会の証とも言えなくもない。そんな気がする。この「現
象」を前に、かつて論議があった「時事俳句」の是非は入り込む余地は全くなかった。むし
ろ災害を通して俳句という表現の強さ、生活に身近な詩型としての強さが明らかになった
のではないかとさえ思える。俳人の想像を超えた現象が見られたのだ。
それゆえ、まさに金子が、大峯に対して、俳人として「事件に対する誠意がない」と語調強
く問いただすのはよく理解できるのだ。
紙面も尽きるが、先に金子が取上げた、齋藤愼爾は、蛇笏賞選考の中では、次のように
書いている。
「〈御降りの高鳴る草の庵かな〉〈灌仏の畦うつくしき大和かな〉など、いつの時代の事か。
草庵ならぬ仮設住宅で暮らす衆生の想像力に届くだろうか。…「あとがき」に「季節それ自
身は変わることなく回帰して来ます」とあるが、花も草も無常と言える。・・・今年の花は去年
の花ではない。宇宙的瞑想を称讃される氏だが、私は漱石の『三四郎』の中の台詞を敷衍
し、「宇宙より、頭の中のほうが広い」と考えている。」
大峯は、句集『宇宙塵』のあとがきで、「自分自身の内に宇宙そのものを映している」とも
述べているが、齋藤の言う「頭の中」とは、最後まで微妙に「ズレ」たまま、いまなお我々の
前に残されているのだ。
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