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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (72)      2016.vol.32 no.376



         薄目あけががんぼに付き合ってゐる         鬼房

                                   『愛痛きまで』(平成十三年刊)


  情事の前に男は喜び、情事の後に女は喜ぶ。ほとんどの男は、事後に甘えて来る女を

 鬱陶しく思ふものだ。愛しあつた女に、すつと背を向けて吸ふ煙草の美味さを男なら誰しも

 体験したことがあるだらう。

  この句は完全に事後の句だ。薄目をあけて付き合ふ気怠さは、男と女のそのシーン以外

 に考へられない。

  「付き合つてやる」ではなくて「付き合つてゐる」なので、さほど高圧的な態度は感じない

 が、そもそも付き合ふといふのは変な言葉だと思ふ。付き合ふといふ状態は、向かうの状

 態や希望に合はせるといふことだから、立場的にはこちら側が一歩引かなければ成り立た

 ない関係だ。いづれにせよ積極的に関与しようといふときに付き合ふは使はないと思ふ。

 となると告白のときに付き合つて下さいといふのは無礼な気もするが、話を元に戻さう。

  句意を素直に受け取れば、寝床についてゐるとなにやらががんぼが近づいてきた、殺す

 のも可愛さうだからそのままそつとしてやらう、といふことにならうか。なるほど、ががんぼ

 の、大きさや脆さ、蚊のやうに刺したりしない害のなさなど、殺さないでゐる生物にはぴつ

 たりの選択である。でもこの句は小動物への哀れみの句ではないな。付き合ふに屈折した

 愛情を感じるのである。まあ女にもががんぼにも素直になれない男の心情つて奴なのであ

 らう。

                                   (北大路 翼「屍派」「街」)




  私は平成十七年に「小熊座」に入会させていただいたので、生前の鬼房先生には、一度

 もお会いしたことがない。折にふれて、一目だけでも良いからお目にかかりたかったと、残

 念に思ってきた。でも「小熊座」のバックナンバーや、句集を拝見し、又、先輩の方々から、

 鬼房先生の回顧などを、何度もお聞きしてきたので、私なりに鬼房作品のことを理解し、尊

 敬の念も深めてきた。

  掲句は、お若い頃から闘病を繰り返して、お辛い日々を送られたことを想像すれば、ご病

 床での作品のように思われてならない。

  かすかな羽音をたてながら、とんできたががんぼに、よしよし、見舞いにきてくれたのかと

 声をかけているようにも思えて、微笑を誘われるが、その奥底には、生きるということへの

 深い哀しみが横たわっているように思えてならない。そして、ががんぼに、強く生きなさいと

 エールを送ったのではないだろうか。弱い者に対する鬼房流のやさしさが、滲み出てくるよ

 うな作品で、読み返すたび、心の中が温かいものに満たされる。

  鬼房先生は、壮健な日常に戻りたいと、何度願われたことであろうか。薄目をされた面差

 しは、静謐な中にも柔和そのものであったと思う。ががんぼに付き合っている吐息までやさ

 しく聞こえてくるような作品である。

                                          (日下 節子)





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