2016/9 №376 特別作品
街 道 我 妻 民 雄
老鶯の首長うしてほーといふ
胸郭は臓腑を包み更衣
紫荊サド侯爵はまだ来ぬか
額縁のなかは糠雨額の花
秒針もしばし停まり蠅叩
プラタナスかくまで高し緑雨待ち
ざらめ雪の立山連峰から海市
青嵐山を降りて波濤上ぐ
卯波より浮き立つ煉瓦倉庫群
輸送車の流れは絶えず明易し
蟇よ君に街道の幅が広い
明治神宮万緑叢中深入りす
天牛は鳴いたか天の岩屋戸は
睡蓮の池に奥処はあり目覚む
迂闊にも息もらしたり水中花
掌に白桃をのせ切りし母
浜菊に風の音また波の音
絶滅へ精霊蹊蚸もどき発つ
伸びあがる二百十日の人面魚
土偶みな女のかたち木の実降る
八 月 土 見 敬志郎
一湾に鉄の匂ひの八月来
仏壇に貝風鈴の風溜まる
波裏に死者の声ある晩夏光
空缶に嗚咽のこもる広島忌
白桃の皿に夕波鎮みゐる
潮騒は墓の底より終戦忌
真夜中の村を一暼いなびかり
八方へ鳥を放てる晩夏の木
波音のかぶさり来たる昼目覚
ここからは三途の川や草いきれ
島裏の無縁の墓や合歓の花
耳鳴りへ老鶯の声入りこむ
逝く夏や喜怒哀楽の椅子一つ
万緑や地球浮いたり沈んだり
万緑の深息を浴び無音界
朝靄のなか山繭の匂ひ来る
心頭を滅却すれば油蟬
沖波の晩夏の声をあげてくる
合歓の花村の隅々まで見ゆる
蓮の飯漂ひ来たる潮溜
青 梅 大久保 和 子
ジャムパンのジャムを削りて敗戦日
傲慢なオセロの二色敗戦日
日焼けして亡夫は酒より花林糖
寡婦と分類されたるころの青田風
遺品まだ捨てられずあり夜の秋
亡夫はどう生きたかつたか梅雨晴間
子に歳を越されし遺影夏あざみ
亡父に訊きたきことのあれこれ夕立来る
吾の知らぬ亡夫を知る子と冷し酒
白シャツを腕捲る子や亡夫もまた
父亡くて父になりし子夏めきぬ
亡夫は子に厳しさのみを青嵐
息子とは父を恋ふもの柿の花
夫逝きし日の走り書き夕螢
青梅がひとつ夫には忌日あり
新婚も死別も柿の花の中
白髪にならぬ遺影や盆近し
亡き夫の隠しに硬貨・ラムネ玉
朽ちてゆく桃の匂ひを忘れまじ
今朝のわたしにコスモスの一つ咲き
緑 夜 鎌 倉 道 彦
祖父母の匂いに満ちて蕎麦の花
家畳む庭木に山瀬風ばかり
山背吹く修司の帽子が歪み飛ぶ
少年はいつも直線藤の蔓
遮断機をわたりて緑夜に入り行く
少年期の翳りの眼蛇いちご
遠くに戦火吾は万緑に沈み
緑雨きて龍の鱗が腕に触るる
飛蚊症目に炎天の翳があり
下闇はぬめりぬとくに背のあたり
晩夏光曲がる首なし地蔵あり
己が身を曝すがごとく桃を剝く
嘘ばかりならべる日かな夏の月
少年の足先涼し鳥の舞
茅ぶき雨蚕室の白き闇
瓜冷やす河童の皿の浅きこと
杉木立過ぎれば残暑切通し
本堂に読経の籠もる夏の雨
木下闇鉄扉の中の金色堂
坂登る一両電車麦の秋
肌光る 松 岡 百 恵
逆光に群れなしてゆく卒業子
一といふ只の直線風信子
学校の塀よそよそし飛花落花
サイレンを沖へ見送り鳥曇
石鹼玉はじけて路地を明るくす
卯の花腐し日和見菌多し
黴の花腹に生きもの犇めいて
ソーダ水赦さるるとき肌光る
夕凪や謝らせずに許さずに
八月の川に錠前残されて
心音に耳をすませる望の夜
子の声が言葉になりぬ朝の虫
花木槿今日はわたしの日曜日
流星のお守り袋より生まれ
秋夕焼これもあれも「ん」で終はる
舌の根に留まる悪意枯芙蓉
寒林や電波時計を疑ひぬ
裸木の摑む空より空零れ
目を開く。スイッチを押す。寒卵
詩語を待てるか梟の声待てるか
指 紋 斎 藤 真里子
明け方の雨に音なき聖五月
オルゴールゆつくり止まる梅雨の夜
梅雨探しただの穴なる埴輪の眼
ビルにビル映す東京夏隣
さくらんぼ星のつめたさ確かにあり
一音の狂ひしピアノ夏に入る
つきあつて起きてゐるなり夏の月
夏の蝶翅に溢れる海の色
雨傘をたためば蛍匂ひけり
蛍火の触れ合ふときの闇の声
くつきりとグラスに指紋天高し
薫風を呑むジーンズの膝の穴
恋のことちちははのこと雲の峰
大学の子の大の字の昼寝かな
麦の秋ピアノの音の残りしまま
人体の窪みの湿り夕薄暑
薄暑光波と戯る砂の声
潮の香やバックミラーの大夕焼
廃校をマーガレットが包んでゐる
五指で梳く髪のうねりや初蛍
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