2016 VOL.32 NO.377 俳句時評
文学的主題詠の可能性―松下カロ『白鳥句集』
武 良 竜 彦
句集を読了したとき、純文学のような統一感と訴求力に欠ける印象を抱くことが多い。句
集はある一定の期間に詠まれた俳句を年代的に編んだ境涯詠集が多く、それが俳句界の
常識になっているようだ。私が散文系の仕事に関わり純文学愛好者であるせいで、句集に
文学的主題を読み取ろうとしてしまうことがそう感じる原因なのだろう。
しかし、俳句界の句集の一般的な「境涯詠集」的あり方が、俳句を非文学的にしている原
因の一つではないか。
私が偏愛する俳人たちの俳句と句集には、一冊の純文学を超えるほどの統一感のある
文学的主題を受け取れるものが存在する。例えば高屋窓秋・中村草田男・芝不器男・富澤
赤黄男・高柳重信・永田耕衣・林田紀音夫・大岡頌司・安井浩司・河原枇杷男など。現役で
は齋藤愼爾氏。テーマ性俳句詠の傾向が強い彼等は、その独特の偏愛的語彙群を駆使
して、音楽でいえばそれを繰返し変奏するような詠み方で独自の文学的主題を表現すると
いう特徴がある。逆に言えばそういう方法意識によってのみ表現可能な世界だ。
例えば林田紀音夫の工場街生活圏語彙(鉛筆書きの遺書など)、河原枇杷夫の季語殺し
的用法の象徴性具象語(野菊など)、齋藤愼爾の風土喪失性望郷語彙(螢など)。
俳句批評の分野で文学表現としての言語論的俳句評論によって、俳句評論に新風を吹
き込んだ松下カロ氏が、句集『白鳥句集』を上梓した(深夜叢書社)。松下氏の文学論的俳
句評論同様、この句集には明確な文学的主題がある。右に挙げた先人たちのテーマ性俳
句の系譜に連なる、凌雲の志に満ちた句集である。全句が「白鳥」や「鳥」の語句を含み、
多重変奏協奏曲ともいうべき詠法で、独創的な文学的主題を鮮やかに浮かびあがらせて
いる。
白鳥にさはらむとして覺めにけり
白鳥の消失點にあかんばう
刀疵あり白鳥の奥深く
一羽より二羽の白鳥淋しけれ
白鳥と少女の微熱箱舟に
このような初々しい感性の時代の喪失の悲しみ。
男死に白鳥となる噓を愛す
髪を刈られて白鳥となる女
靑年が征き白鳥が哭く童話
行先を知らぬ白鳥エノラ・ゲイ
白鳥もまた薄暮に尖る乳房持ち
男は「白鳥」を伝説という非在にし、女は「白鳥」という虚体を実在のように身の内に飼っ
て生きる。その差異が鮮明に浮かび上がる。
若者の甲状腺に白鳥棲み
爐心より白鳥ほどの煙立ち
頸だけの白鳥頸のないヴィナス
白鳥の姿も見えず身體圖
視えない巨大システム災害が存在に牙を剝くとき、「ヴィナス」的存在の核心は無傷でい
られるのかという問い。
白鳥はふるへてゐたと少女云ひ
「白鳥」はどこにもいない。少女が言葉を獲得したとき、その言葉だけが紡ぐ世界に存在
するからだ。少女が「ふるへてゐた」と証言して初めて、震撼するような何かが予見される。
世界の在り方とはそういうものだ。
産褥の白鳥まなこ見開きて
一つの命を産み落とした母性は世界に向けて目を開く。自分の妊娠以前から世界がどう
変わり、変わらなかったかを確かめるために。産み落とされた新しい命にとって、この世界
が生きるに値する所であることを祈って。場合によっては世界と闘わなくてはならなくなるか
もしれないという予感と覚悟を秘めて。
白鳥の耳の在處や國境
抑止力白鳥の頸折るほどの
鳥歸る藁と帝國燃えやすし
白鳥や見たことのない本籍地
母方や どの白鳥もすすり泣き
出奔の白鳥と遇ふ交叉點
かつて女性たちは三界に家なしと言われ、家を出て、入った家に縛り付けられてきた。そ
の拘束感が彼女たちの心の「出奔の志」を育み、それが蓄積されてきた。ある日通りかか
った「交叉點」で「出奔の白鳥」を抱いた女性と出会い、微笑みの眼差しを交わしてすれ違
ったのだ。ああ、こんな思いを抱いているのは「私」だけではない、と密かに思う。「交叉點」
にはそんな女性たちの、哀愁に満ちた微笑みが降り積もっている。
オンディーヌ振り向きざまの白鳥は
ジャン・ジロドゥの戯曲で水の精「オンディーヌ」は掟に反して、人間である騎士ハンスに
恋してしまう。そのハンスに裏切られたら、水の王が彼の命を奪うと制約させられるという
過酷な恋。結局人間のハンスは彼女を裏切る。裏切ったハンスをオンディーヌはそれでも
必死に庇うが、制約通りハンスは命を絶たれ、彼女は自分の恋の在処の人間界の記憶を
喪失する。愛も裏切りも「振り向きざま」に喪われる運命を「白鳥」は背負っている。
こういう文学的象徴性に富む、深い主題を持つ俳句を詠ませたら、おそらく松下カロ氏に
叶う者はいないだろう。
この句集の読後、読者は自問すべき課題を与えられる。
「白鳥」とは何か、と。
松下カロという固有の身体性と魂の細部であり総体であり、独特の女性性を包摂しつつ
それでも作者の身体と魂から零れ落ちゆく何か、文学的思惟の中にだけ存立し得る普遍
性のようなもの。人という存在と規定し合い、融和しつつも、反発し深傷さえ負わせかねな
いもの、やっかいで手に負えない人生の伴走者でありながら、種を異にする永遠に交わり
得ない何か。このように散文で言葉を尽くしても説明しきれない何か。それを表現するのが
文学という営為だとすれば、「白鳥」とはその営為によってしか、その存在の証明ができな
いものである。
この句集の読後、読者はある期間の俳人の「境涯詠」という類型的詠嘆の陳列物ではな
く、読者各自がそこに「主題」を発見すべき「文学」を確かに受け取るだろう。
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