小 熊 座 2016/10   №377 小熊座の好句
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     2016/10  №377 小熊座の好句  高野ムツオ



    晩年や祭の底に揺れてゐる       土見敬志郎

  祭の起源は定かではない。『日本書記』の神代、天孫降臨のくだりでは「祭祀」を「マ

 ツリ」と読ませ、霊、奠、祀祠などの文字も同様に訓じているようだ。「祭」は神を奉る

 こと、つまり、神への奉仕であり、神に「まつろう」ことであると「国史大事典」では本居

 宣長の説を紹介している。

  季語としての「祭」は夏祭を指す。春祭は農作物豊穣の祈り、秋祭は収穫の感謝の

 ためだが、夏祭は疫病や水害など厄災からの加護を願うものだ。神にまつろうことで

 生きるエネルギーの降臨を期するのだ。多くの夏祭が躍動感に満ちているのは、こ


 のせいである。だから掲句も山車が曳かれ笛太鼓の音が渦巻いている一場面と受

 け取りたい。得体の知れぬ渦のような大きなうねりに取り巻かれながら、その底で、

 老いの深い孤独とともに晩年という残された時間を全身で受け止めているのである。

 「晩年のエネルギー」とは永田耕衣の造語だが、それに通じるしたたかさも持ち合わ

 せている。

    滝壺の渦を出る水七十代        牛丸 幸彦

  昨今の七十歳はまだまだ若々しいイメージがある。しかし、古稀という言葉が示す

 ようにけっして誰もが迎えることのできる年齢ではない。迎えることができても、さまざ

 まな病や厄難を経ての場合がほとんどだろう。滝壺を潜ってきた水は、まず、そのこ

 とに想いを至らせる。しかし、その後のゆるやかな流れは、これから迎える時間をも

 想起させるが、その先にも滝はまた幾つも待っているに違いない。そのことも十分意

 識させながら、しかし、句のすみずみに充実感がこもっているところが魅力である。

    団塊世代アイスクリーム溶けかけて      丸山みづほ

  こちらは七十代間近の世代の思いを表現したもの。

  アイスクリームは確かに団塊世代である。アイスクリームを初めて食べたのは万延

 元年に咸臨丸で渡米した遣米使節団であるという。昭和十年代に自転車のアイスク

 リーム売りが現れ始めたが、戦争で中断、戦後、アイスキャンデーから始まり、たち

 まちアイスクリームの著しい普及へと繋がった。団塊世代はその流れの中で育ち、青

 少年期を迎えたのだ。そのアイスクリームが溶けかけている。団塊世代の未来その

 ものが見えてきそうでもある。

    みな違ふ涙の濃度八月来        益永 孝元

    縁側に御弾き八月十五日        神野礼モン

  戦争への思い濃い二句。〈みな違う涙の濃度〉は人の数だけ、さまざまな悲しみが

 あるとも読める。〈濃度〉に発見がある。〈縁側の御弾き〉には、そこに姿の見えない

 少女への慈しみが映し出される。

    自転車に虹の空気を入れてやる         中井 洋子

    野葡萄の色生むまでのさやぎかな       大澤 保子

    太陽へ脱げば美し蛇の殻           斎藤真里子






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