懸けるということばには、自らのものを他に託し、ゆだねるこころがともなう。夏も終わり
に近づく頃、死ぬことを知らない灼熱の火の鳥を、これまでそれが留まっていた自らの腕
からどろの木に乗り移らせたということだろう。
鬼房はこの句の前年に〈どろの木のそよぐともなしひでり谷〉(『朝の日』)という句を詠ん
でいる。火の鳥が懸けられたどろの木も、きっと、前年の句に描かれたそれと同じようにた
しかな存在として夏の風景のただなかに生えていたものに違いない。ところで、どろの木と
いうことばと火の鳥ということばとは、たがいによく似たかたちをしている。それゆえ、どろ
の木のたしかな存在にゆだねられた火の鳥は、引き合うことばのちからによって、どろの
木と同じようにたしかなものとして存在しはじめる。だが、火の鳥のこうした存在のたしかさ
は、そのままでは決してたやすく受け入れられるものではない。おそらく、それゆえにこそ、
この句において、晩夏はわがものとされなければならなかったのだ。不死の鳥は、逆説的
にも、限りある主観のひろがりのうちにのみ息づくことを許される。それによってはじめて、
読み手もまた、そうした仕方での火の鳥の存在をたしかなものとして信じることができるよ
うになる。こうして、句は、火の鳥をどろの木に託したその腕から、それと同じように読み手
のほうへと託されている。
(福田 若之「群青」「オルガン」)
鬼房はこの句を収める『朝の日』の前句集『鳥食』のあとがきで「訴え叫ぶことから、言葉
を絶って地に沈む静謐の霊歌を」と自己の主題を定めたと述べている。と同時に「これから
も鳥食の賤しい流民の思いは消えず、迷い多き詠い手として試行錯誤を繰返してゆく」自
分の明日を予見していた。その次の句集である『朝の日』のあとがきでは「五十代の締めく
くりにしてはいささか貧しいが、私なりに土俗の人間風景の多少は描けたのではないかと
思う」と述べている。五十五歳で肺気腫、五十六歳で心臓衰弱により入院。俳句の円熟度
と反比例して体調は悪化しつつあった境涯の中の句集だ。他に次のような俳句が収めら
れる。「出直しの死を選ぶべし梅見頃/打ちおろす斧が地を噛む春の暮/籾穀火よみの
国まで燻らする/余生とや土筆野にわれありて莫し/生きてまぐはふきさらぎの望の夜/
昂然とおのれ消えゆく雪のひま/艮に怺へこらへて雷雨の木」
存在の脆さを滲ませつつその手応えを詠む作風である。掲句「わが晩夏どろの木に火の
鳥を懸け」にもそれが象徴的に表現されている。「どろの木」は比喩ではなくヤナギ科の「
泥の木」という実在の木で泥を吸い込む木という意味合いがある木だが、泥に紛れて崩れ
る脆さの象徴のようだ。そこに己が精神性の証のように「懸け」られる「火の鳥」の輝きが
逆に切ない。その切なさこそが鬼房である。
(武良 竜彦)