2017/1 №380 小熊座の好句 高野ムツオ
凩の湧く源や古鏡 柳 正子
「古鏡」はリズムの上からは「ふるかがみ」と読むべきだから、まずは母親あたりが
使っていた鏡として鑑賞するのが自然だろう。鏡を覗くと、そこに自分の顔が映り、そ
の面立ちから母を思い出すという発想はよくある。ここではもう一歩踏み込んで、そ
の鏡から木枯しが湧いてくるという。その木枯しもまた母のイメージを伴う。かつて匿
うように抱いてくれた母である。古鏡は作者の原風景への出入り口なのである。
しかし、そう頷きながらも私にはやはり古代の神鏡としての古鏡のイメージが濃くな
ってくるのを断ち切るわけにはいかない。俳句鑑賞というものは畢竟、個人の記憶や
嗜好と切り離すことができないと開き直って述べるのだが、「湧き出る」という表現に
こだわる時、私は出羽の羽黒神社の御手洗池に沈んでる鏡を思い出さない訳には
いかない。実際に沈んでいた約六百面の鏡は引き上げられて博物館に収納されて
いる。が、池底には鏡がまだ残っているだろう。鏡は神霊の化身。願いを託して奉納
される。いわゆる水霊崇拝だが、その池底の鏡から木枯らしは吹いてくるのである、
いや湧き出てくるのだ。木枯しは、そのまま人間の神仏に託する欲望そのものなので
ある。
初冠雪の奥羽山脈わが鏡 俘 夷蘭
その鏡を立てかけたのが奥羽山脈だというのが掲句。鏡を「鑑」と単純に読み換え
ることだけは避けたい。前時代の道徳の匂いが濃くなってしまう。ここではあくまでも
山脈そのものが鏡なのだ。初冠雪ならではのまぶしさをもって山が作者を映し出す
のだ。
野晒しの死は贅沢や赤のまま 武良 竜彦
〈野ざらしを心に風のしむ身かな〉は芭蕉だが、この句はその野晒しすら贅沢だと言
っているのだ。実際、芭蕉の死は野晒しとはほど遠かった。体調が思わしくないのに
も関わらず門弟の対立の調停に大阪まで出向き、茸に中り下痢で体力を消耗した末
での畳の上での往生である。芭蕉にとって慙愧に耐えぬ死に方であっただろう。芭蕉
が路通に特に眼を懸けたのも、彼が生来の乞食でいずれ野晒しという風狂にふさわ
しい死に方をするだろうと予想していたからだ。その路通は九十の長命を全うした。
おそらくは病床での死であろう。〈はづかしき散際見せん遅桜〉は死の数年前の句だ
が、当時としては稀な馬齢を重ねたことを悔いているのである。西行の死に方はあま
りに出来過ぎだが、どのような形であれ、人は自らの死に方を選ぶことはできない。
そのことをこの句は踏まえている。
昭和とは黒焦げの鍋花八ツ手 中村 春
竈に据えられた鍋はどれも黒焦げだった昭和。電子レンジやホットプレートでは、
黒焦げにしたくてもすることができない。しかし、昭和に黒焦げだったのはけっして鍋
だけではない。広島や長崎では人間も鍋のように黒焦げになった。昭和という時代そ
のものが黒焦げだったのだ。その焦げの匂いは平成の今も続いている。戦中も戦後
も庭先を占めていた花八ツ手のたくましさも健在なのだ。
白息をもて繁栄の頃のこと 布田三保子
「繁栄の頃」とはいつのことか。「好景気」とか「盛況」とは違うから、昭和、平成など
というのとは時間のスパンが違うようだ。おおげさかも知れないが、人類が繁栄した
昔と言ったニュアンスがある。もしかしたら、なんとか生き残った人類の末裔が会話し
ている場面かもしれない。もっとも、眼を擦れば、やはりその辺の街角あたりでの立
ち話。話題も難しいことではなさそう。「子孫繁栄」など誰も信じなくなった現代のたわ
いないおしゃべりというのが本当のところかもしれない。
大堀焼の馬の嘶き冬に入る 植木 國夫
大堀焼は相馬焼の通称で親しまれている陶器。繋ぎ駒や走り駒が描かれる。野馬
追いの馬だ。たくさんあった窯元も原発事故で避難せざるを得なかった。嘶きはその
悲しみの声である。
瞽女の眼にのこる夕日や石榴の実 大久保和子
見えない眼の底に溜まる夕日の色が見えてくる。
神無月と言へば来栖野未知なれど 上野 山人
「徒然草」の第十一段を踏まえている。
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