2017 VOL.33 NO.381 俳句時評
時代を捉えてゆくこと
千 倉 由 穂
昨年の十二月、現代俳句協会青年部主催のシンポジウムが行われた。テーマは「不易
流行―俳句と時代が向き合うとき―」。開催趣旨は、「今の時代を代表する一句、と言われ
たとき、あなたは誰のどの句を思い浮かべるだろうか。時代を色濃く反映しているとしたら
その句はいつか古びてしまわないだろうか。 (略) 俳句と時代のかかわりようについて語
り合いたい」というものである。パネリストは、池田澄子、鴇田智哉、堀下翔、神野紗希(司
会)の四氏である。まず、提出された「自作の中で時代の影響を受けている三句」より一句
ずつ紹介する。
非常災害用保存飲料水去年今年 池田澄子『たましいの話』
毛布から白いテレビを見てゐたり 鴇田智哉『凧と円柱』
赤塚不二夫忌おほぜいのゐる木のむかう 堀下翔「里」2014.4
白鳥座みつあみを賭けてもいいよ 神野紗希『光まみれの蜂』
池田は1936年生まれ、「豈」「船団」「面」所属、昨年第六句集『思ってます』を刊行。鴇
田は、1969年生まれ、「魚座」「雲」を経て無所属、同人誌「オルガン」同人、第二句集『凧
と円柱』にて第六回田中裕明賞を受賞。堀下は、1995年生まれ、俳句甲子園に出場、
「里」「群青」所属、第六回石田波郷賞を受賞、現在大学生。神野は、1983年生まれ、俳
句ウェブマガジン「スピカ」編集人、現在現代俳句協会青年部長である。
二十代から八十代の世代の異なるパネリストが挙げた「今の時代が詠まれていると思う
十句」を元に議論が行われ、興味深かった。全てを載せることはできないが、印象に残っ
た句を挙げていきたい。
菊日和昨日買つた靴下で駆け寄る 佐藤文香『君に目があり見開かれ』
堀下の選んだ一句、佐藤は一九八六年生まれ。「昨日買った靴下」に、現代の若者の在
り様があると指摘した。かつての靴下と言えば、足袋である。杉田久女の「足袋つぐやノラ
ともならず教師妻」が、思い浮かぶ。イプセンの『人形の家』の主人公ノラのことである。自
立を求めるノラのようにはならずと読み、佐藤の句とは対照的だ。やはり句の背後には時
代の影響があるのだと思わずにはいられない。 「昨日買った靴下」 で 「駆け寄る」のであ
る。気軽に買うことのできる靴下は確かに現代的だ。 しかし、作者は時代の現れを自覚し
て作ってはいるだろうか。作者にその意識はなくとも、一句に時代は現れるということだろ
う。
枇杷の花ふつうの未来だといいな 越智友亮「鏡」十九
鴇田と神野の選んだ句、越智は1991年生まれ。鴇田は、現実の風景として浮かび上が
ってくる、口ずさむならこういうことだろうと述べた。池田も、時事詠として読める重い句であ
り、三橋敏雄の「信ずれば平時の空や去年今年」が思い浮かぶと述べた。さらに神野は、
古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』を引用しつつ、「ふつう」に幸せで不安な主体を
指摘した。幸せでかつ不安が、現代らしい若者の在り方という。私は同世代として疑問を感
じた。素直な一句だが、表現者として安易に読みすぎではないか。平均的な未来を淡く期
待する若者の「軽さ」が現代性なのだろうが、あまりにはまりすぎの感がある。第十四回俳
句甲子園最優秀句に菅千華子の「もう未来きているのかも蝸牛」がある。この句の方が、
不安が心に到達しているような切実さを感じる。「ふつうの未来だといいな」という作者の心
から、不安はまだ遠いところに揺蕩っているようで、言いたいことがわからないと感じてしま
う。
ヒーターの中にくるしむ水の音 神野紗希『光まみれの蜂』
この句を選んだ池田は「くるしむ」に、現代を生きる作者のくるしみを読んだ。確かに、水
の音にくるしみを感じる作者の感情の反映があるのだと思う。だが、「現代を生きる」苦し
みにまで読むと広すぎるのではとも感じた。時代の影響を受けているか否かについては、
作者ではなく読み手の問題となってくるのである。
赤紙をありったけ刷る君に届け 外山一機「俳句」2016.12
神野が選んだ一句、外山は1983年生まれ。「赤紙」は、戦時下における拒否権のない
召集令状のことに他ならない。そのような「赤紙」と、少女漫画のタイトルにもなっているき
らめきのある言葉「君に届け」を重ねるところに、暴力的なものを感じる。堀下はバーチャ
ルな句だと指摘している。たしかに現実味が感じられないが、仮想現実ともなっていないの
ではないか。神野が他に挙げていた大牧広の「老木を抱きしめたくて敗戦日」の句と並べ
ると、現実感のなさをより顕著に感じる。戦争への皮肉や警告の意味合いがあるのだろう
か。こう詠むしかできなかったのか、もっと異なる詠み方はないのかと指摘したい。
他に、「山もまた被曝したりと熊がでる」小原啄葉、リトル ボーイ「原発を描き入れてみよ
金屏に」高柳克弘、「少年の摩羅立つ地平 散り建つ原発」関悦史、「化野は海にもありて
秋寂びぬ」小原啄葉など、震災を読んだ句が多くあがった。また、言葉を組み合わせた句
だとして「葉を鍵と思へば夜着も月の型」生駒大祐など、韻律や形式、表現としての新
しさのある句もあがった。さらにフランスのテロを詠んだ「殺戮に霜月も神不在なる」中原道
夫、「寒卵ひところがりに戦争へ」藺草慶子など、時事的なものを詠んだ句があがった。ま
た、携帯電話を詠んだ「あいふぉんしっくすiPhone6冷たき指紋認証す」小川軽舟、放射能
の汚染土を詰めた袋の風景を詠んだ「除染袋すみれまでもう二メートル」永瀬十悟、優れ
ていることを指す圧倒的という語が、ネットなどで、意識の高さを皮肉る意味を含んで使用
されるようになっていることから読まれたとされる「圧倒的言葉足らずや春近し」輪違典子
など、新しい言葉を読み込んだ句もあった。
これらの句から、何か共通項を見出そうとしたが出来なかった。時代もそれを見つめる
視点も多種多様である。混沌とするが、時代の影響を受けた句を考えることは、自身の時
代の向き合い方を考えることでもある。自分はどこで時代を捉えてゆくことができるか模索
していきたい。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」、いまい
ちど新しさとは何かと問う。多くの刺激を与えられたシンポジウムであった。
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