2017/3 №382 小熊座の好句 高野ムツオ
人はみな秉燭者や雪こんこん 我妻 民雄
「秉燭者」 とは夜、明りとなる火を点し、それを守る人のことである。どこかに宗教的
なイメージがあって新しい言葉かと思っていたが、実はそうではないようだ。すでに日
本書記に見える。ヤマトタケルが東征を終えて甲府の酒折で夜を過ごすときの問答
歌の相手が 「秉燭者」 である。岩波文庫でのルビは 「ひともせるもの」 となっている。
古事記では御火焚之老人と呼ばれている。一説には東国の支配者で 「火を操る予
言者」 との意味もあるようだ。そして、この問答歌がそうであるように、その予言は歌
によって交わされる。
また周知のように、この記紀の問答歌は連歌つまり俳句の発祥原点でもある。そ
のことを踏まえれば、いささか強引かもしれないが、今俳句によって言葉を紡ぎ出す
ことも「秉燭」 に通ずるのではないか。俳句を含め詩はもともと予言なのである。先の
見えない深雪の夜も、言葉の灯火によって未来が開ける。
メメント・モリ メメント・モリと雪降れり 佐藤 弘子
「メメント・モリ」 は古代ローマの詩の一節という。「一日の花を摘め」 というのが原
義で 「今この瞬間を楽しめ」とか 「今という時を大切に使え」 という意味である。どちら
にせよ 「明日は死ぬかもしれない」 「自分が必ず死ぬことを忘れるな」 という思いが
表裏になっている。さまざまなシチエーションが想像できる。パーティなどの帰り道辺
りがごく自然だろう。作者が福島の人であることを念頭にするとき、原子力が人間に
与えた未来の幸福が脳裏をよぎる。その幸福は未来の絶望と実は表裏をなすものだ
った。「メメント・モリ」 の繰り返しが限りなく降る雪の音を伝えてくる。
恐ろしや転げ出したる寒卵 水戸 勇喜
前にも紹介したが、鳥類の卵が楕円なのは転がりにくく、かつ、たとえ転がってもま
た元の場所に戻ってくるためである。自然の神秘的な力というしかない。それでも卵
にとって転がることは本質的に危険である。この句は、それにもかかわらず、自らに
意志があるかのように転げ出したと表現したものだ。じっとしていれば安全なはずの
卵が転げ出す。それは、動かなければ人間に喰われてしまうからだ。実際はテーブ
ルが傾いていたためひとりでに転げ出しただけなのだが 「恐ろしや」 というおおげさ
な上五が絶妙で、それが卵のないはずの意志を十分に伝えてくる。「寒卵」であること
が、より説得力を強めている。
凍蝶にして紋様の極まりぬ 斎藤真里子
蝶の紋様には異性を誘うためとか、鳥を脅し身を守るためとかいくつかの理由があ
るようだ。いずれにしても、それが死を間近にした瞬間に 「極まる」 と感じたところに
詩的発見というものがある。
頭撫でられたるやうに初時雨 大久保和子
鮟鱇のいづくより来て吊されし 平山 北舟
雪山を置き去りにして上京す 千倉 由穂
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