声に出して二読、三読してから目をつむる。二通りに読めそうだと気づく。①「おろかな自
分」、それ故にそういう可哀想な自分を愛す。②「おろか」だから、自分を愛するなどという
ことをしてしまうのだ、と。「おろか」が「自分」にかかるのか、「愛す」にかかるのか、という
二通りである。
自分はおろかものだ、だからそういう自分が愛おしい、と読む方を、私は好む。かの啄木
に一連の「我を愛する歌」がある。その中の一首をふっと思い浮かべた。「友がみなわれよ
りえらく見ゆる日よ/花を買ひ來て/妻としたしむ」である。啄木の歌には妻がいるが、自
己憐憫の質において同質のものであろう。日本においては古来気品を醸すかに思われて
きている桐の薄紫の花が自慰俳句に流れぬ一線を保持させる。鬼房の蝦夷の気骨であろ
う。
しかし、おろかとは何だろう。暗愚や愚昧、馬鹿ということとは違う。「愚か」という漢字を
当てず、「おろか」というひらかな表記にしたところに鬼房の真意がある。そこには世間、世
情が対置されている。時代によっては世間、世情の頂点をなす国威、権力に姿を変えるこ
ともあろう。世間、世情、大勢に馴染めずに、世間的には「おろか」と見られようと、そういう
「おのれ」に誇りを持てる自分がここにいる。自己憐憫からの転換、自恃がここにはある。
(五十嵐 進「らん」)
私は生前の鬼房を知らないが、次の逸話は彼の人となりを髣髴とさせる。金子兜太さん
曰く、福島に住んでいるとき、ぶらりやってきて、炬燵を囲んで一晩を過ごし、熊のようにの
そのそと帰っていった。黒田杏子さん曰く、松島で句会を開いた折、「おばんですう」とゴム
長靴を履いて現れた。七十四歳での蛇笏賞受賞式では、「真に活力ある句作をしていたら
六十代で受賞したかった」と挨拶して、おどけてみせた。まさに愛すべき東北人そのもので
ある。 掲句は、七十三歳の作で『瀬頭』に補遺三句として、「預かりし風邪の潤眼の一歳
児」、「胸張って木枯を呼ぶ素老人」と並べてある。敢えて補遺としたのはこれをもって近況
と心境を吐露したのであろうか。それは「あとがき」に「淵から瀬になる瀬頭で、空元気を出
して遊んでいる」と記したことからも頷けよう。こうみてくると、「おろか」とは愚かとも疎かと
もつかず、鬼房が見せる照れとも自嘲ともつかない自己表現なのだろう。そんな自分だか
らこそ谷間の村に咲く桐の花を重ね合わせてみたのであろう。 病いがちの鬼房がいっとき
安心立命を得て、俳人としてもひとつの高揚期にあった時期の作で、まさに老境に在る人
間讃歌である。
(植木 國夫)