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2017/5 №384 小熊座の好句 高野ムツオ
三陸の気嵐の底赤子泣く 土屋 遊蛍
今月の当月佳作抄はぴったり三十句。抽き出す句数をとくに決めてい
ないが、二十句よりは多く採りたいと心がけている。鬼房先生が主宰を
されていた頃に比べると数が増している。
中で、はっきり大震災以後を題材にした句、または災禍を契機として
生まれたと判断できる句は十句ほどで、三分の一あった。読みようによ
ってはもっと数は増えそうだ。俳句の鑑賞には、鑑賞者の来歴が必ず
反映する。私などには震災以前の俳句もまるで震災の句のように読め
てしまう場合がある。
別に否定すべきことではあるまい。戦争体験者と戦後生まれとで句
の鑑賞に相違が生じるのと同じである。くわえて、さまざまな読みが生
ずるのは言葉そのものの宿命でもある。言葉は生きている。普遍の意
味やイメージを保ちつつ、しかし常に変転をする。
掲句は「気嵐」と泣く赤子の対比の句だが、初冬の冷え込みの厳しい
朝らしい雰囲気がまず感じられる。気嵐を目前にしながら、民家辺りか
ら洩れてくる赤子の声を耳にしている北国の小さな漁港の一情景だ。し
かし、「三陸」という地名が冠されることによって、これは一漁村に限ら
ない多くの港町に共通する場面として表現されていることに気づく。す
ると、赤子の声は、にわかに三陸の海のあちこちから聞こえてくる思い
にとらわれる。つまり、この世の外の赤子の声である。「気嵐の底」の
「底」がしだいに物を言い出す。私にとって、この声は津波で攫われ今
も行方不明の赤子が母を捜している声に聞こえる。
視野の端東京姫斑猫といふ小虫 増田 陽一
東京姫斑猫は東京近郊や九州小倉近郊に生息する斑猫で、東京に
住むということから名がついた。大きさは一センチに満たない、黑っぽ
い地味な虫だ。公園や庭が住まいだという。名を初めて知ったが、この
虫にはもしかしたら、これまでも出会ったことがあるかもしれない。斑猫
に似た黒い虫を東京で見かけた記憶がたしかにあるからだ。斑猫の別
名は道おしえ。猥雑極まる東京でこの虫に出会ったら、本当の東京の
ありかを教えてくれるかもしれないなどと想像が湧く。「視野の端」という
上五が微妙な心理も伝えてくる。
冬眠の泥鰌の気泡星粒は 平川よし美
泥鰌には田圃の土中に潜って越冬するものがいる。かつては冬の貴
重なタンパク源で「泥鰌掘る」という季語もある。泥が乾いていないとこ
ろでは、田の表面に泥鰌が生んだ小さな気泡を見つけることができるら
しい。星の数々は、その泥鰌の気泡が空に上ったものだというのが掲
句。小さな命のありようを慈しみをもって想像豊かに伝えてくる。
霾るや未完のままの開拓史 小野 豊
穴のあいた心に詰める春の雲 小笠原弘子
白梅のうしろの闇や怒濤音 斎藤真里子
月面に消えぬ足跡鳥雲に 松岡百恵
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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