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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (82) 2017.vol.33 no.386
釜神の裏側の夏棲みよけれ 鬼房
『瀬頭』 (平成四年刊所収)
釜神は、台所に祀る火の神。宮城と秋田の一部の地域では、家の資材の一部で憤怒の
顔をした面を作り、台所の柱や竈の上にかけて厄除けとするのが慣わしだったという。
素直に写生として詠むなら、鬼房の暮らす家に面がかかっていたことになるが、どうも疑
わしい。鬼房はたびたび嘘をつくからだ。この場合の釜神とは、決まった景にとらわれず、
読者に共通の心象風景を引き出すためのスパイスだと思ったほうがよい。
母親世代ならば、想像が容易なのだろう。が、私はシステムキッチン、食器洗浄機の時
代に生まれたので、竈のある生活を知らない。それでも、「釜神の裏」という大胆な言葉に
鬼房が言わんとする「あの感じ」が、なんとなく分かる。薄暗くて静かなザ・隠れ家。押し入
れの中にも似た、やや圧迫してくる闇。そんな場所は私も大好きで、「棲みよけれ」には大
いに共感できる。
普段は燃え盛る竈も、夏は使用頻度が少ないので、釜神様も出番が少ない。釜神の裏
に膝を折って座る痩身の鬼房がいるとなると、「つきすぎ」と言いたいほど絵になる。
この頃、鬼房は、大変な手術を経験している。平穏無事な日常生活に、素直なリスペクト
を感じたに違いない。孤独ぶって見せても、確かに守られている安堵感。なんでもないとこ
ろに、神は宿る。
(西山ゆりこ「駒草」)
平成元年、鬼房先生70歳時の句集『半跏坐』の一句。本句集は小熊座の創刊、胃、膵
臓、脾臓の摘出という大病を患うなど命を削るような五年間の作品が収められている。
昭和三十年代までどこの家庭にもあった竈。その上に掛けられていた釜神が句の頭に
あって、当時の暮らしの様々なことを俯瞰しているようだ。その視線はいつか鬼房先生の
回想と重なる。季節は夏。燃える竈の辺りは酷い暑さとなる。その暑さは同時に六歳で父
を亡くしてからの母の苦労、二十一歳から二十七歳までの戦争体験、復員後の机さえも無
かったと言う貧しい結婚生活、激しい労働と俳句の創作との葛藤…と重なる。時代に翻弄
されながらその遣り切れない思いを言葉にせずには居られなかったのだろう。火の消えた
竈は一変して薄暗くひんやりして、この世とあの世の境目とされる釜神の裏側を思わせる。
夏の裏側の空間、そこはきっと棲みよいところに違いないと。鬼の面相さえも人々を見守る
やさしい眼差しに見えて来たのではないか、と模索した。
父は晩年戦後生まれの私に志願兵となった海軍の話しをした。軍隊教育の場では何か
しくじった時は連帯責任となり「根性棒」なる太い木の棒で尻を思い切り殴られたらしい。し
かし、その痛みよりも殴られる音と呻き声を聞きながら順番を待つ恐怖が凄かったと。父
の戦争の裏側を垣間見た気がした。
(大久保和子)
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