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2017/8 №387 小熊座の好句 高野ムツオ
永らへば誰しも小町合歓の花 さがあとり
「鬼も十八」という言葉がある。女性蔑視の言葉の一つで、性的な意味も帯びる。こ
の言葉を聞いたなら、ほとんどの女性は眉を顰めるだろう。しかし、歌舞伎の勧進帳
に「鬼も十八情け知り」とあるように、本来は男女を問わず若者一般について述べた
言葉のようである。現在でも自分の娘を謙遜の意味で使う場合は許されるであろう。
対して「永らへば誰しも小町」は高齢の女性の美しさを褒めそやす意味合いである
から、女性蔑視からは遠いとまずは言うことができる。小野小町は伝説が多く、生没
年不詳。通説では晩年は故郷秋田の湯沢で過ごしたことになっているから長生きで
あったに違いない。ただ、この句からは能の「卒塔婆小町」を連想することもできる。
卒塔婆の上に腰掛けていた乞食老女の小野小町が高野山の僧に身の上を語るとい
う設定である。語るうちにやがて小町に恋心を受け入れてもらえず死んだ深草少将
の霊がとりつき狂乱するという筋書きだ。能では、その所作や言葉に人間の老若、美
醜、因果が対比的に表現されている。深読みかもしれないが、能を踏まえて掲句を
鑑賞するなら「誰しも小町」には、誰もがそれぞれに悲哀苦悩を抱えつつ永らえて老
女となったとの思いもこもっているのではないか。夢のような色を湛える合歓の花が
実によく似合う。
とうすみや父を愛すは父の死後 あべあつこ
漢字では「灯心」と記す。糸トンボの別称。行灯の紐状の芯に似て細いので、こう呼
ばれる。時折り、尻尾を立てたりもするが、なるほど、しだいに灯心に見えてくる。
一般に父娘は仲がよいとされるが、ファーザー・コンプレックスとは、父親の愛情不
足が娘の成長後に現れたものであるらしい。そうであれば、ファーザー・コンプレック
スがもっとも強まるのは父の死後ということになる。父という存在の消滅自体がより父
を渇望させる。父の立場でいえば、「父は永遠に悲壮である 朔太郎」ということにな
る。灯心蜻蛉の尾が灯明をも連想させるところに味わいがある。
昼顔や胎毛筆の遺りたる 土屋遊蛍
胎毛筆だから、作者は死者の母親とも受け取れようが、そうであれば、この句の昼
顔につきまとう疲労感や倦怠感は、いささかそぐわない。むしろ、死者の兄弟縁者と
受け取りたいところだ。遺品を整理していた時だろう。肉体は火葬によって骨だけと
なる。しかし、その生の証である髪、それも母親の胎内で育まれた胎毛のみが、毛筆
となって遺っていたのである。
戦闘機月下美人が香を放つ 中村 春
月下美人はメキシコの熱帯雨林が原産。日本では園芸種がほとんどだが、沖縄に
多い。 夜、花開く。香りが濃厚で夕方には匂い出す。これは花粉の媒体である蝙蝠
を呼び出すためだ。いくら形が似ていても戦闘機など誘いはしない。しかし、沖縄の
夜空には今夜もその音が響き渡る。
炎天やここにお歯黒溝ありき 田村慶子
お歯黒溝は台東区の吉原にあった溝のことである。今はもうないが、現在の吉原
公園にその跡らしきものが残っているという。防犯や防火の役目も果たしたらしいが
遊女たちの逃亡・駆け落ちを防ぐためのものでもあった。ただし、実際に遊女が逃亡
することはそんなに多くはなかったようだ。つまり、遊郭に居ようが、故郷に戻ろうが、
いずれにしても辛苦から逃れられないからだ。お歯黒溝の名は、そこに遊女たちが
使った鉄漿の汁を捨てたことから付いた名で、実際に溝が真っ黒であったわけでは
ない。しかし、炎天下の溝のどこか暗い光は、そのまま遊女たちの悲しみであろう。こ
の句はそうした過去に思い至している句だ。
アマテラスの放尿あとか黄金麦 吉野和夫
麦がスサノオに殺されたオオゲツヒメの陰から生まれた神話はよく知られている。
頭からは蚕、目からは稲、鼻からは小豆、尻から大豆が生まれたのだが、陰つまり
女陰は命を生むもっとも肝要なところ。麦がいかに重要な食物であったか知らしめて
くれる。入梅前、一降りした雨によって金色の輝きを増した麦のさまをアマテラスが放
尿したからだと想像したのが掲句。アマテラスとスサノオは姉、弟の関係。オオゲツヒ
メも父母は二人と同じくイザナギ、イザナミだから同胞である。弟の乱暴な行いを嘆き
ながら放尿したのだろう。涙では肥やしにならない。
玉造郡の生まれ茗荷の子 蘇武啓子
宮城県玉造郡は八世紀に、天平五柵の一つ、玉造柵が置かれたところ。玉造軍団
という名もある。玉造の地名は常陸や上総の古代玉造郡の人々が持ち込んだと考え
られている。『鳴子町史』には河内玉造が玉沙、出雲玉造が瑪瑙、陸奥玉造が石英
の日本三玉造と記されているという。水晶も産出し水晶玉を朝貢し名玉の産地とも言
われた。火の沢という地名もある。「火」のヒは鉱脈を差すらしい。その玉造郡の一隅
に今年も水晶色の茗荷の子が芽を出したのである。
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