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2017/9 №388 小熊座の好句 高野ムツオ
生きて死ぬただそれだけのことソーダ水 鯉沼 桂子
ごく当たり前のことを、ごく当たり前に呟き、それを十七音に乗せただけのような句
だが、中身はなかなか重い。ここに語られているのは、一生がどんなに波瀾万丈で
あっても、また、どんなに平々凡々たる歩みであっても、つまるところは「生きて死ぬ」
ことに変わりはないという認識である。しかし、籠められている思いは諦観などという
一見大人びた風の通俗的な心境とは別物だ。むしろ、どんな生であれ、かけがえの
ない一回性のものだという発見である。暗黙のうちにそれを伝えるのが「ソーダ水」。
繰り返し読んでいくうちに青いソーダ水の底から浮き上がっては消え、浮き上がって
消える小さな泡の一粒一粒が見えてくる。さらに、ストローで吸われて少しずつ減って
いき、やがて夢のように消えてしまうソーダ水のありようを思い知らされる。ソーダ水
を飲んでいるのは、おそらく、向かい合ったカップル。その二人の未来も、つまるとこ
ろはソーダ水と同じような物に過ぎないとまで鑑賞するのは、シニカルを通り越した、
老人の僻目かもしれない。
強いて言へば寄るとしなみの暑苦し 山田 桃晃
こちらは自虐的だが、したたかなユーモアにも溢れる。夏が暑いと言っているので
はない。年齢、それも「寄るとしなみ」が暑いのだ。「としなみ」との平仮名表記も効果
的だ。「寄るとしなみ」は年が積み重なっていくことを波が幾重にも押し寄せてくること
に喩えた言葉だが、涼やかな波と打って変わって、これくらい重い暗い波は、かの日
の大津波に比肩する。どちらも生き物に死を強いる波。加齢もまた句材になる好例
であろう。
音たてて肋にも吹け若葉風 秋元 幸治
まずはだけた胸を吹き渡る瑞々しい若葉の頃の風が想起される。肋骨に軽やかな
響きを残しては、また若葉へと渡る豊かな風だ。軽いウイットが効いている。しかし、
この若葉風は肋を通り抜ける風と解すると状況は一変する。つまり、死後の景。若葉
風の心地よさにふと骨となった己を夢想したのだ。「吹け」という命令形が、そうした
連想を誘う。白骨に化したのちも、若葉風よ、今日と同じく木々の生命力を謳歌しな
がら吹き渡れとの思いである。
ゴジラなら火を吐き出して星涼し 高橋 薫
「星涼し」の季語は日中の暑さを表裏としている。蒸し暑い一日を振り返り、夜の涼
しさを味わうのである。「ゴジラなら」はゴジラそのものであればとも、自分がゴジラだ
ったらとも解することができる。後者の方がよりユーモラスだ。ゴジラのように熱い息
を一日中吐き出して働いてきたから、今夜の星の涼しさに恵まれたのである。
肉食みし顳顬を這ふ西日かな 佐々木智佳子
西日に動くこめかみが見え、命あるものを食べて永らえねばならない生き物として
の悲しみが見えてくる。
最上川逆白波のごとき鮎 津髙里永子
にんげんの口の暗がりさくらんぼ さがあとり
てのひらに木漏れ日包む更衣 関根 かな
遮光器土偶に陸奥の梅雨隠る 相原 光樹
アスファルトの下に土あり蟬しぐれ えんどうかつこ
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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