小 熊 座 2017/12   №391 小熊座の好句
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    2017/12   №391 小熊座の好句  高野ムツオ



    水母なら二万の聲を拾うはず          高橋 彩子

  初見の折は推すにためらいがあった。それは、「二万」という言葉が東日本大震災

 後、死者数を示す言葉として多用されてきたからだ。私自身も使っている。心のどこ

 かに〈かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを〉という長

 谷川櫂の短歌も影を落としている。確かに不用意に「死者二万」とはいうべきでない。

 死者は二万人であっても一人であっても、その死の軽重に変わりはないからだ。では

 詩の言葉として使ってはいけないか。そうではない。長谷川櫂も、むろん、それを前

 提として「かりそめに」と打ち出しているのだ。二万に限らず死者の数を句にした例は

 他にも多い。身近な例を挙げても、山形の亡き阿部宗一郎にシベリア抑留を詠った

 〈迎え火やさあさあ虜囚五万の霊〉の句がある。

  掲句、「二万の聲」は誰の声か、限定されていない。生者の声とも、あるいは海難事

 故の死者の声とも読める。しかし、二万という数は東日本大震災の死者であることを

 雄弁に主張する。その声を拾い、弔うことができるのは水母だけだという詩的主張に

 説得力がある。半透明の傘を開閉させながら泳ぐ水母が、そのまま口寄せの巫女の

 姿に重なるのだ。水母は死者の言葉を伝えるため、海をくまなく漂っては、その声を

 拾っている。それは生き残った東北の民の姿でもある。「水母」という表記も十分に働

 いている。

    消えし村それぞれにある良夜かな       大久保和子

  大震災の句と限って鑑賞する必要はないだろう。むしろ、ダム建設のため水没した

 村や過疎などの理由で廃村となった村など、さまざまに想像を広げた方が句の奥行

 きが深まる。かつて、どの村のどの家でも芒を活けて団子を供え月見をした。月見は

 縄文時代からあった風習とも伝わる。山野の恵みに感謝を捧げる行事だ。芋名月と

 も言うが、里芋を食べる習慣もかなり古くからあるようだ。月見団子は江戸中期以降

 という。収穫物は地方それぞれ家それぞれだから、似たように見えても、さまざまな

 月見の仕方があったのだろう。家族構成や貧富もさまざまである。

  しかし、それらは村の消失とともに姿を消した。いや、村は残っていても月見そのも

 のが消えてしまった。自然の恵みに感謝する心の滅びともいえようか。変わらないの

 は十五夜の名月の光である。しかし、その本当の豊かさは、もう現代を生きる我々の

 心には届いていないのかもしれない。そんなことまで想像させる句である。

    放棄田の芒も天に至りけり           佐竹 伸一

  「耕して天に至る」の出典は諸説あるようだが、有名なのは司馬遼太郎が、明治中

 期に日本を訪れた清国の政治家李鴻章が瀬戸内の島々の耕作状態を見て驚嘆して

 呟いた言葉として紹介していた逸話である。孫文が宇和島の段々畑を見て感嘆した

 言葉とも伝わっている。その勤勉な人々が拓いた田も、今は放棄田となり果てた。そ

 して、稲穂に代わって芒がそよいでいる。前句で月見に触れたが、芒が供えられるの

 は、稲穂の代わりとしたからだ。かつては稲の収穫は、月見よりも遅かった。芒はそ

 の代用であり、神の依代となった。だが、芒だけになった田を眺める月の神がもたら

 すものは、おそらく天罰以外、何物もないだろう。これは痛烈なイロニーの句なのだ。

    草紅葉水湧くところ水の神           田中 麻衣

  水への敬虔な思いをモチーフとしている。おそらくは枯れ始めた山際のささやかな、

 しかし絶えることのない湧水。見つけた作者の驚きと水の神への感謝の思いが伝わ

 ってくる。湧水も、それを司る水の神も、今また、日本の山野から徐々に姿を消しつ

 つある。

    秋燈や「球陽」つひに読まざりき        中村  春

  「球陽」とは十八世紀に編纂された琉球王国の正史とされる歴史書である。原文は

 漢文で、「球陽」という書名は琉球処分以降広まった名であるらしい。琉球の美称とい

 う。政治的な歴史のみならず、天変地異や風俗も記されている。清国と日本との板挟

 みになっている立場もその編纂の仕方に反映されているようだ。現代語訳もあるらし

 いが、普及はこれからのようだ。「読まざりき」の下五に沖縄生まれの作者の複雑な

 思いが重く沈澱している。

    八月の雲に無数の窓のあり          関根 かな

    秋草の眠りも深し若者も            益永 孝元

    天高し牛の糞にはある平和          須藤  結





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