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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (87)      2017.vol.33 no.391



         勿来とはわが名なるべし春の川          鬼房

                                   『瀬頭』(平成四年刊所収)


  奥州三関のひとつ勿来の関は古代から歌枕で知られる。〈勿来〉は「来るな」の意であり、

 蝦夷(えみし)の南下を拒む言葉である。鬼房は〈わが名なるべし〉と明言し、みちのくの連

 帯感や、ひるむことのない自尊心を表現しようとした。境界や分断を象徴する〈川〉だが、

 〈春〉の季語から、みちのくの萌え出づる大地の豊かさや喜びが伝わる。

  私の母は勿来の関のすぐ近くで生まれ育ち、同じいわき市内の平(JRいわき駅周辺)に

 嫁いだ。町場育ちの父は田圃ばかりの在所だと勿来を軽んじたが、母は勿来生まれを秘

 かに誇りとし、折に触れ〈吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな〉と古歌を口

 遊んだ。事実、夏は遠方から海水浴客が多く訪れ、山海の食べ物が豊富で、進取の気象

 に富み開明的な土地柄だった。商家に嫁いで間もなく父が病床に臥し、不遇も多かった母

 だが、勿来の話をするときは声が明るかった。婚家よりハイカラであるとよく自慢したが、

 明治生まれの祖母の得意料理は避暑客から習ったクリームシチューやカレーであったし、

 母も当時珍しかったレタスやトマトやレモンを進んで食卓に載せた。

  荒れて鬱蒼としていた関跡も今はきれいに整備され、昔の面影は全くない。母もまた高

 齢のため記憶が曖昧になってしまったが、勿来の話をすると嬉しそうにした。

  この秋、母は九十一歳の生涯を閉じた。

                                      (駒木根淳子「麟」)



  勿来は古代、蝦夷の南下を防ぐために設けられた歌枕「勿来関」に由来する。福島県い

 わき市が広く知られるが、宮城県利府町にも勿来川が流れ、上流に関があったと伝えられ

 ている。著名な歌は源義家「吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな」。行き

 来を拒む「勿来」は別れや悲恋がしっとりと詠まれた。

  それに比べ、鬼房自身が蝦夷を拒む「勿来」を「わが名」と打ち出すインパクトは強く、「春

 の川」とは圧倒的にシンプルだ。雪でも月でも花でもない。強くシンプルな言葉を投げ出し

 ている。そのためか、ユーモアに隠しながら、挑むように感じられる。東京に住む者にはな

 おさらだ。

  陸奥の春の川は厳しい冬からの解放と、その勢いのままに下る雪解川。雪をくぐった祝

 祭こそが陸奥の春。それがわかるか? そう挑まれているようだ。さあ、拒まれているのは

 どっちだ? いや、春の川の関は、政の関とは違い、感じる者を受けいれてくれる。その大

 きさをも信じることができる。

                                          (松岡 百恵)





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