小 熊 座 2018/2   №393 小熊座の好句
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    2018/2   №393 小熊座の好句  高野ムツオ



    動かぬを力としたる冬の蠅        土見敬志郎

  蠅の生態が生き生きと伝わる『古事記』のくだりの一つに、「ここを以ちて悪 (あら)

 ぶる神の音なひ、狭蝿 (さばえ) なす皆満 (み) ち、萬の物の妖 (わざわひ) 悉に発

 りき。」 がある。スサノオが亡くなった母イザナミを恋い焦がれて泣き叫んでいる場面

 である。同じような表現は姉のアマテラスがスサノオの悪行に怒り天の岩戸に籠もる

 場面にも用いられている。「さばえ」は五月蠅とも表記する。じっさい蠅の飛翔能力は

 昆虫類の中でも非常に優れていてホバリングや高速での急激な方向転換もこなせる

 という。蠅は古事記の記述でも察することができるように天孫降臨族が征服しようとし

 た各地の土着の民やその神そのものでもある。スサノオが悲しんでいる間に反乱を

 起こし始めた異民族として表現されているのだ。もっとも、これは征服者側の見方で

 被征服者側から言えば、虐げられていた民に勢いを盛り返すチャンスが巡ったという

 ことである。蝦夷という言葉ももともとは蝦のように腰が曲がった野蛮人という意味で

 あるし、土蜘蛛も蜈蚣も屈従させられた民の蔑称である。蠅もまた同類と見てよい。

 この句の蠅の重量感に蹂躙と搾取に耐えながらも、生まれ育った地を離れようとしな

 い物言わぬ民の姿を見るのは鑑賞過剰ではないだろう。単に日本という島国だけの

 ことではないのだ。

    倒木に斧の痕あり冬の森        鎌倉 道彦

  一読、鬼房の(切株があり愚直の斧があり)が想起される。句に斧自体は存在して

 いないが、切株の痕が斧を黙示する。違いは鬼房の句が伐られたものと切り倒した

 ものとの対比に生と死、加虐と被虐、そして、生きることの矛盾に満ちた根源を提示

 しているのに対して、道彦の句は木の痕と森との対比がむしろポジティブに生命の有

 り様を伝えてくるところだ。「痕」が新鮮このうえない。

    影も地に根ざしてをりぬ大冬木        小野  豊

  同じ木だが、こちらは広々と手を広げている大冬木。その影も本体と同じく、土中よ

 り立ち上がっていると見て取ったところに、木の生命のあり方をとらえる眼が感じられ

 る。もしかすると、土中の木の根までも影を生んでいるかも知れないとまで想像させ

 る。

    寒星はぶつた切られし木に宿る        初見 優子

  こちらはすでにこの世から消え去った木を見据えている。そのないはずの木の間か

 ら冬の星がきらめき出した。

    眼に見えぬ富士や小春の海のうへ        津高里永子

  富士の句は枚挙に暇がないが、この句は見えない富士の句である。見えなくなって

 も東京始め各地に富士見坂が残る。遠隔地には蝦夷富士に岩手富士と富士に代わ

 る山が存在する。作者が見ようとしているのは、かつて海底から出現し噴火を繰り返

 した二千万年前の富士の姿かもしれない。

    ひび割れの果てが海溝月冴ゆる        佐々木智佳子

  海溝は海洋プレートが大陸プレートに沈み込む場所である。言ってみれば地震の

 母胎だ。単なるひび割れには違いないが、恐ろし過ぎるひび割れなのだ。

    小春日の茶托がひとつ足りません        関根 かな

  小春日和の団欒。欠落感が和やかさを伝える。

    白鳥来タイガの色を眸に湛へ        大河原政夫

  「タイガ」はシベリアの針葉樹林。永久凍土に広がる。





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