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2018/4 №395 小熊座の好句 高野ムツオ
冬空とわが不知火の不治の海 武良 武彦
今年の二月十日、『苦海浄土 わが水俣病』で知られる石牟礼道子が亡くなった。
不知火海は八代海の別名。不知火とは旧暦の七月晦日、新月の夜に無数の火が沖
を明滅しながら動く現象を指す。有明海にも現れる。蜃気楼の一種で漁り火が屈折し
て見えるのだそうだ。龍神の灯火とも呼ばれ、付近の漁村では、この火が見える夜
は漁に出ることを禁じた。現在も見えるとのことだが、干潟が埋め立てられ海水が汚
染され、見る機会はかなり減ったらしい。
不知火海は、周知のように水俣のチッソ工場が排出した有機水銀に汚染された。
水銀は食物連鎖によって魚介類に濃縮蓄積され、それを摂取した人々がメチル水銀
中毒症に罹った。水俣病と呼ばれたのである。原因物質が解明されたのは昭和三十
四年だが、汚染被害の究明や保証には長い紆余曲折の歳月を経た。初期の認定患
者数は約三千人だったが、救済対象となった被害者は、その後およそ二万人に及ん
だ。患者申請者数は増え続け、訴訟は今も続いている。チッソ水俣工場は第二次世
界大戦前から稼働していたというから、本当の被害者数は、もはや把握のしようもな
い。水俣病の偏見や差別は今も残る。水俣病は今日的課題なのである。にもかかわ
らず政府や資本企業の隠蔽体質と無責任さは、変わることがない。それは他の公害
問題でも東日本大震災の放射能問題でも同じことだ。
石牟礼道子は一人の主婦だったが、惨禍の悲しみの中から水俣病患者の声なき
声の聴き取りを開始する。そして『苦海浄土』を綴る。全三部完結まで足かけ四十年
原稿用紙二千二百枚。高度経済成長に酔う日本人の浮薄な精神の奥深くへ穿たれ
た重い楔となった。
作者は石牟礼道子の死を悼み、不知火の海を「不治の海」と名付け冬空を仰ぐ。そ
れは石牟礼道子が、〈祈るべき天とおもえど天の病む〉と詠んだ空である。どちらの
句も絶望の思いが濃い。しかし、その絶望から眼を逸らさないところにのみ人間の未
来を生きる手だてがあるのだ。そう両句とも指し示している。近代文明という化け物
は、その化け物を生んだ人間をも呑み込む。一度冒した人間の過ちは元に戻ること
はないとの真実を私たちは銘記すべきだろう。ちなみに作者は水俣生まれ。私は学
生だった半世紀前に作者から石牟礼道子や谷川雁の世界を教えてもらった。
雪解川天病むと詠み逝きにけり 坂下 遊馬
これも石牟礼道子の追悼。上五を春の星とするべきか、迷ったという。こういう素材
を句にするとき、あまり巧緻に走るべきでない。句の善し悪しより自分の表現意志を
優先させるべき。他人の評価など関わりないという傲慢さも表現者には不可欠なの
である。
「雪解川」が不知火海に注ぐ水俣川や石牟礼道子の高い詩精神を想起させる。「春
の星」の柔らかい光では、それは生まれない。
老年や舌のごとくに屋根の雪 我妻 民雄
季語でいえば「しずり雪」。舌の比喩に諧謔味がある。老残の、しかし、艶もある。
この褞袍半世紀など一つ飛び 清水 里美
箒に跨がったりマントを羽織ったりすると空を飛べるとは聞いていたが、褞袍で五
十年の時空を一っ飛びできると初めて知った。今度褞袍を着て眠るときは、そう信じ
て眼をつむることにする。
水の地球に火球の歴史冬の鳩 八島 岳洋
大寒の鏡に映る鼻ぺつちや 太田サチコ
春の星のみ残りたる空き地かな 一関なつみ
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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