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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (94) 2018.vol.34 no.398
鬼やんま沼を突きぬけ帰り来ず 鬼房
『枯峠』(平成十年刊)
子ども時分、篠竹の先に黐を付け虫を捕りに行った。原っぱや空地が沢山あり、主な獲
物はとんぼが多かった。しおからとんぼにはすぐに倦きてしまうが、鬼やんまや銀やんま
が現われると、その偉容に圧倒され、我先に追った。子どもたちにとって宝物だった。
それにしても掲句の場合、川や池ではなく、何故〈沼〉なのか。大和政権成立あるいは国
家統一を目的に、熊襲とよばれ、長髄彦一族とよばれた先住の人達を「征討」した「英雄」
が大和武尊と教えられた世代。滅ぼされた人達が「悪」で勝者の歴史しか知らされていな
かった。
その一人東北に矜恃をもち、文化や信仰や言語、暮しを守るために奮闘した、阿弖流為
の名を聞いたのは、高野ムツオ氏からと記憶している。
道の奥の意味の陸奥は、近畿地方の人や関東からも未知の国。鬼や魔物が棲み、得体
の解らぬ恐ろしいイメージがある。また、冷害による、貧困、飢餓、家族離散等々の悲劇。
そして明治維新の際に朝敵とされた会津を中心に、東北地方の鉄道の架設、環境整備が
疎かにされたとも聞く。そのような地で暮し、恵まれたとは言えぬ境遇の鬼房氏にとって、
蜻蛉の〈突きぬけ〉は〈沼〉でなくてはならないのであろう。また鬼やんまは飛行機にも譬え
られ、〈帰り来〉られなかったのは、特攻隊の若者達のことかも知れない。いろいろ考えさ
せられる一句である。
(折原あきの「港」)
「いま私にとって大切なことはハングリーの精神だ。風雪に耐え、遙かなるものの声を聞
き、飛翔願望に賭ける」 ― これは掲句が所収されている第十二句集「枯峠」の帯に記さ
れている鬼房の言葉である。短いが鬼房の俳句の精神が凝縮されている。
鬼房には『枯峠』の句集名にもなった〈鳥寄せの口笛かすか枯峠〉や『名もなき日夜』の
〈胸深く鶴は栖めりきKaoKaoと〉 『鳥食』の〈鳥食のわが呼吸音油照り〉など「鳥」の句が
多い。『枯峠』には〈春眠の上翳をつつく鉄の鳥〉〈頑として動かぬつもり夏の鴨〉など鳥たち
が自在に表現されている。「鳥」は鬼房の飛翔願望の象徴と思える。
「鬼やんま」は蜻蛉の仲間では最も大きく、水辺を離れて林道等を行ったり来たりする習
性がある。低い所を飛ぶので子どもの虫捕りの対象ともなり、私にも身近な存在だった。こ
の句の「鬼やんま」は鬼房自身であり、「沼」は鬼房の生まれ育ったみちのくであり、さらに
言えば荒涼たる内実であろうかと思われる。その「沼」を突きぬけて鬼やんまは帰って来な
い。この飛翔こそすでに「沼」を乗り越えた鬼房の解放の暗喩のように思えてくるのだ。80
歳でしかも深刻な病状を抱えながらさらなる飛翔を求め続けた鬼房には「遙かなるものの
声」が聞こえていたにちがいないと私には思える。
(丸山みづほ)
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