小 熊 座 2018/9   №400 小熊座の好句
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    2018/9   №400 小熊座の好句  高野ムツオ



    人もまた鉱物となる大南風        関根 かな

  化学始め物理すべてに疎いので百科事典などの記載を鵜呑みして述べるしかない

 が、鉱物とは一般に無機質で均質の固体物質を指すらしい。岩石を形成する元とな

 る。しかし、何事にも例外はあるようで、琥珀や石油(液体は除外するとの説もある)

 などは有機鉱物と呼ぶらしい。生体鉱物という言葉もある。植物や動物の生体によっ

 て形成された物質で貝殻や歯それに珊瑚がそうだ。燐灰石とかアラレ石とも呼ばれ

 る。方解石も元は炭酸カルシウムである。炭酸塩鉱物という言葉もある。無機鉱物と

 の違いなど厳密なことは専門家に任せることとして、どうやら人間の歯や骨も鉱物と

 なる可能性があるということだけで、この句の鑑賞には十分だろう。どれくらいの歳月

 で形成されるか想像もつかないが、琥珀で言えば数千万年前の生体が閉じ込められ

 ているものもある。この句は、そのはるかな時間を思い、自らの肉体も鉱物となり存

 在し続けることを夢想しているのだ。いや、もしかしたら人類すべてが鉱物となってし

 まう未来を予言しているのかも知れない。その悠久の時間を大南風が伝える。

    金色の如来の目尻にも酷暑       一関なつみ

  実は、前句は岩手森の会の吟行会での作品。一関の石と賢治のミュージアムでの

 発想である。こちらは中尊寺での作品。金色堂の阿弥陀如来と鑑賞するのもいいが

 むしろ、宝物館内の剥落がすすんだ如来像としたい。「金色の」は如来ではなく目尻

 に係るのだ。宝物館には清衡の中尊寺建立供養願文が所蔵されている。それには

 前九年・後三
年の役で亡くなった兵士はもちろん、犠牲になった生きとし生けるすべ

 てのものを平等に弔い、仏の手によって極楽浄土へ導いてほしいとの寺院建立の願

 いが記されている。平和の希求の祈りである。しかし、清衡の願いはむなしく、その後

 平泉は火の海となった。いや平泉に限らない。戦争は今もどこかで続き、今も屍は恨

 みを残し、霊魂は濁世を彷徨っている。

  阿弥陀如来の阿弥陀とは無量光を指す。つまり、無限の寿命との意味がある。濁

 世の人間を救済する仏の姿のことだ。永遠の寿命を持つということは裏を返せば救

 済すべき人間の煩悩は絶えることがないことを前提としている。戦争は永遠に続く。

 それゆえ阿弥陀の光もまた永遠であることが不可欠なのだ。これは、あまりに皮相な

 考えなのであろうか。如来の目尻の金色の酷暑は末法を悲しむ仏の熱い涙に思えて

 くる。

    蟬時雨地に沁みており息を吸う     及川真梨子


  これも中尊寺での作であろう。しばらくぶりで目前に木から地面に滑空しては転が

 る落蟬を何度も見た。蟬の一途の鳴き声が地に沁みているととらえたところに、まず

 発見がある。さらにその蟬の声に応えるように「息を吸う」と表現したところに蟬の生

 そのものへの共感がある。

    雲を見るボオドレエルと巴里の蠅    増田 陽一

  何だかよくわからないが惹かれる俳句というものがある。これなどがそうだ。ボード

 レールと蠅、どんな関係があるか知れないが、生涯をエディプス・コンプレックスにと

 らわれ遺産を散財したあげく貧窮、そして梅毒に罹り亡くなった絶望の天才に、巴里

 の蠅はどうにも親しげである。空ではなく「雲を見る」というのもいい。 

    滝音を返しつづくや一揆の碑       渡辺 智賀

    巻き貝の渦より湧きぬ雲の峰       阿部志美子

    滴りがやがては胆沢扇状地        鎌倉 道彦






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