小 熊 座 2018/10   №401 小熊座の好句
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    2018/10   №401 小熊座の好句  高野ムツオ



    ひたすらに領巾振る琉金らの平和      栗林  浩

  「領巾振る」から「平家物語」の俊寛を思い出す人がいるかも知れない。あるいは

 〈遠つ人松浦佐用姫夫恋に領巾振りしより負へる山の名〉を頭に浮かべる人がいる

 かも知れない。これは大伴旅人の作といわれている歌だ。「遠つ人」は遠く離れていく

 夫を指す。別れを歎きながら領巾を振る佐用姫は、その後、悲しみの余り山から飛

 び降り、七日七晩泣き続け、ついには石と化した。「遠つ人」は、帰りを「待つ」と松浦

 佐用姫の「松」に係る枕詞となった。

  領巾は古代、女性が首から肩に掛けて左右へ長く垂らしていた装飾用の、天女な

 どが纏う例の細長い布のことである。では、なぜ、帰りを待つのに領巾を振るのか。

 「領巾」には波風を鎮め、厄難を祓い、願い事を引き寄せる呪力があると信じられて

 いた。ここでは夫の無事を祈り、再会をもたらす吉兆として振られている。別れにハン

 カチを振るのは、その名残りと言ってよい。もう掲句の鑑賞は不要であろう。琉金は

 領巾の代わりに鰭を振る。その願いは一つ。太平洋戦争末期の沖縄戦で知られる

 「白旗の少女」の白旗も、また現代の領巾なのである。

    山村の逆茂木今も秋の蟬        中村  春

  逆茂木とは、先を尖らせた杭や鋭い枝のついた木をたくさん斜めに立てて敵の侵

 入を防ぐ設備のことである。弥生期の遺跡の門前などで、よく見つかっている、『平家

 物語』や『太平記』にも記述が見える。戦国時代には竹を切って、横木を添えて敵の

 防御としたが、これも逆茂木である。鹿砦とも呼び。軍隊だけでなく鹿や猪の撃退に

 も用いた。旧日本軍も作った。かつて沖縄では珊瑚で作ったものもあったという。今も

 その遺構が残っている。十五年前、吉野ヶ里に足を伸ばしたことがあった。うろ覚え

 だが、確かそこにも逆茂木の復元したものが並んでいたはずだ。遺跡の構造と合わ

 せて、ここは戦場なのだと実感した、青森ののんびりとした三内丸山とは別次元の世

 界なのである。秋の蟬の無心の声が逆茂木になぜか深く沁み入る。

    敗戦の日も夏蝶は蝶の道        増田 陽一

  これも戦争がテーマの句。蝶の道は蝶道、揚羽によく見られる習性で、木陰や沢伝

 いに同じ個体が同じ方向に何度も通っていくことを指す。時には同じ種類の別の個体

 が申し合わせたように一定間隔を置いて通っていくこともあるらしい。理由はよく解明

 されていないようだが、食草や吸蜜植物、風や日向の方向、性別、年齢、さらには羽

 化した場所によって決まることがわかっている。テリトリーであり繁殖行動も関わって

 いる。

  敗戦で人間が絶望と悲嘆にくれた日も夏蝶はひたすら蝶道を行き来した。戦争は

 自然を破壊したが、それは平和時であっても、さほど変わらない。相も変わらず人間

 は自然を破壊し続けている。しかし蝶は自然の摂理に従うのみだ。「蝶の道」の「道」

 が、その朴訥一途の姿を読む者に訴えてくる。

    蜜吸えば帆布となるや夏の蝶      𠮷野 秀彦

  こちらは蝶の命の賛歌。

    黄泉までも伴ふ義足雁渡し        八島 岳洋

  病いの果て、足を切断せざるをえなかった人の悲しみ。しかし、たくましさが裏打ち

 されている。

    秋の虹自転車ならば辿り着く       関根 かな

  新幹線でも徒歩でも辿りつかない。自転車ならでは。

    掻爬されしフクシマの土百日紅      後藤 悠平

  「掻爬」の一語が重い。





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