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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (97) 2018.vol.34 no.401
いまにして母の死想ふ木守柿 鬼房
『霜の聲』(平成七年刊)
木を守るべく採り残された柿を見上げて想う。「今になって母の死が悔やまれることだ。」
と。孤高で、どこか哀れにも見える枝の柿。そんな「木守柿」の重さが「母の死」そのものの
ように、冬の青い空に在る。「母」ではなく「母の死」に痛みがあるだろう。
それにしても、この句の作者が鬼房であることに驚いたのだった。その素直な読みぶりに
戸惑ったといおうか。
掲載句集『霜の聲』(一九九五年)を開いてみると、この句と合わせて三つ母の句が並ん
でいる。〈病む母を騒がしておく夕月夜〉〈仮の世の母の影曳く夜寒かな〉。作者独特の陰
影の深い、屈折したこれらの母への表現に比べても、三句目に置かれた木守柿の句は、
不思議なほど率直な吐露に終わっている。いや、終わらせている。
「俳句研究」(二〇〇二年五月号)の特集「追悼 佐藤鬼房」に〝父の想い〟と題された
山田美穂さんの手記が寄せられている。素朴で必死な筆致が、やさしい父・鬼房の俳句人
生の最期の姿を伝えて胸に迫る。二頁にわたる文章の中で、一言だけ鬼房が母親のこと
を美穂さんに話す場面がある。「おばあさんは苦労した人だからね」。
掲出句は、この時の少ない言葉のように、残しておきたかった作品なのかもしれない。
「木守柿」のように。
(谷さやん「船団」「100年俳句計画」)
この句は第十一句集『霜の聲』にある
病む母を騒がしておく夕月夜
仮の世の母の影曳く夜寒かな
いまにして母の死想ふ木守柿
と三句続いている。お母様の最期がうかがえる。「失って知る親の恩」と言われているよう
だ。老いて病床に就く母親と母親を看るそのこどもである鬼房先生。心の中には葛藤がそ
れぞれにあったはずで今も昔も変わらないであろう。死後、母親と向き合う時が来て、後悔
もあったろうと思う。しかし病床で老いて行く母親は感謝あるのみで親孝行を欲張ってはい
ないはずである。年を重ねて老いるということが恐怖である。出来ないことが増え行動範囲
が狭くなる。若い日のように自分の意見が通らないなど、時間をかけて受け入れるより仕
方のないことが多くなる。私はそれが最期に備える大切なことだと近頃思う。蓄えた知恵と
助けてくれる手を頼みに細々と命の光が消せたら幸いだ。
この句の木守柿は今まさに落ちようとしている。木守柿は母親との無償の愛の完成品で
あり、見るたびに、心の中の母に会える時である。お母様は産み育てたことを誇り、この親
の息子で良かったと先生も思っている。先生もお母様も苦しい時代を生きて来たのだろう
が、きっと生きて幸せだったと今は思っていると思う。
(中鉢 陽子)
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