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 小熊座・月刊  


   2019 VOL.35  NO.404   俳句時評



      小熊座俳句会の現在地に思いを

                              武 良 竜 彦



  平成という一つの時代が終わる年の劈頭に、小熊座俳句会の創始者であり初代主宰の

 佐藤鬼房について再認識しておくことは、「小熊座」の歴史を顧みる上で、有意義なことに

 思われる。その現在地はどこなのかという問いである。

  インターネット事典のウィキペディアでは、佐藤鬼房は、次のように要約して紹介されてい

 る。

   塩竈町立商業補習学校卒業。10代からロシア文学を耽読する一方で俳句に目覚め、

  1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1936年より

  長谷川天更の「東南風」同人。1940年、徴兵により入隊、中国・南方に転戦。なお占領

  地の南京で、それまで面識のなかった鈴木六林男に出会っている。/戦後は西東三鬼

  に師事し、「青天」「雷光」「梟の会」などに参加。1953年「風」同人。1954年、第3回現

  代俳句協会賞受賞。1955年、「天狼」同人。のち、「頂点」「海程」にも参加した。1985

  年、宮城県塩竈市で「小熊座」を創刊、主宰。1989年、『半跏坐』で第5回詩歌文学館

  賞、1993年、『瀬頭』で第27回蛇笏賞受賞。/代表句に「毛皮はぐ日中桜満開に」(『名

  もなき日夜』) 「陰に生る麦尊けれ青山河」(『地楡』)など。新興俳句から「権威というも

  のに対するエネルギッシュな抵抗」を感得したと語り(『俳句研究』1947年)、戦後は社

  会性俳句の代表的作家として活躍。陸奥に根ざした風土性・土俗性、人間性への意志的

  な眼差しを特徴とし、戦争の記憶や神話などもモチーフとした。


  以上の記述は本誌の表紙のデザインを担当していただいている前衛俳人の増田まさみ

 氏著の、「佐藤鬼房」『現代俳句ハンドブック』から引かれている。この解説文を読んで、自

 分が日頃詠んでしまう句を顧みてこう自問するのだ。

  私は今、権威に対する抵抗の志を抱き続けているだろうか。風土性・土俗性、人間性へ

 の意志的な眼差しを堅持しているだろうか。戦争の記憶や神話などもモチーフにするよう

 な主題の深みを目指すことを、自分に課しているだろうか、と。「小熊座」同人の諸氏はい

 かがだろうか。

  佐藤鬼房俳句の文学的主題とはなんだったのか。新興俳句・社会性俳句の同志でもあ

 った金子兜太はこう述べる。

 ※(ウェブサイト「金子兜太アーカイブ」2017年9月3日 兜太の語る俳人たち「佐藤鬼房」より)


  鬼房は、第一句集『名もなき日夜』を1951年(昭和26年)に出し、その4年後に第二句

 集『夜の崖』を出している。年齢にして32と36歳のとき。鬼房の初期句集はこの二冊に集約

 されていると見てよい。

  私は処女句集を出して間もない鬼房と福島市で出会っている。銀行勤めで福島の支店に

 いた私の阿武隈川べりの家に、京阪の俳句仲間に会っての帰り、鬼房はぶらりと立ち寄っ

 たのである。炬燵を囲んで一晩をすごし、かれは熊のようにのそのそと塩竈(宮城県)の自

 分の家に帰っていった。まったく熊のように重く、どこか鬱屈を蓄えた後ろ姿が、いまでも目

 に浮かぶ。

   切株があり愚直の斧があり

 の鬼房をおもっていた。

  そして、その愚直のおくに潜む、切株のように孤立した者の野心を、私は受け取ってもい

 た。鬱屈は、この遂げられない野心による面が大きいとおもい、俳句にこれだけ打ち込ん

 でいる男の野心を頼もしくおもっていたのである。

  第2句集『夜の崖』が出た1955年=昭和30年、私は神戸にいた。一帯が白っぽいエキ

 ゾチシズムの街にいて読むこの句集は、東北の風土を、鬼房の詩魂からにじみでる生ぐさ

 い息づかいとともに、したたかに伝えて止まなかった。たとえば、

   青年へ愛なき冬木日曇る

   縄とびの寒暮いたみし馬車通る

   齢来て娶るや寒き夜の崖

   子の寝顔這う螢火よ食えざる詩

  があり、時勢への批判意識から生まれた、

   彼のボスか花火さかんに湾焦す

   孤児たちに清潔な夜の鰯雲

   壁になる冬の胸板軍備すすむ

  などがある。前の4句は如実に風土とともにあり、後の3句も、風土を得て、批判意識の

 ひとり歩きを免れていた。第1句集の野心とともにある文学青年の面影が消えて、塩竈に

 根を置く生活者の声がすべてを包んでいたのである。

  むろん野心消えず。野心は鬼房に若々しい気概を提供し、意欲的な句風を醸成してもい

 た。伝統を受け入れつつ、現代を獲得しようとする意欲といってもよい。しかし、塩竈の生

 活者としての、土着の性根に立つことなしには、意欲の空廻りを惹起しかねまい。鬼房は

 第二句集にいたって、そのことにしっかりと気付いていたのだ。(略)

  同時に、いま一つ強調しておきたい鬼房俳句の特徴に、抒情の宜しさがある。前掲句か

 らも分かるように、心意と風土の重奏の韻律が、ふかく情感をべースとして奏でられている

 ということ。意識的な切り囗を避けて、情感の湿りと温かみで包んで、いわば鋭気ではな

 く、潤気とともに伝える。後半期の作も同様。

   陰に生る麦尊けれ青山河

   蝦蟇よわれ混沌として存へん

   観念の死を見届けよ青氷湖

  まさに「観念」でなく、日常の「思念」の生生しさを大事とし、意識的でなく情感を労りなが

 ら五七調最短定型を形出していたのだ。そして、風土に立つ土着者の俳句が、都市化し、

 本物の「自然」が見失われて、いわば「お自然」俳句の多産へと流れてゆく傾向への、屈

 強の反措定であることをも、鬼房は確信していたのであった。


    ※

  その文学的主題はまさに兜太のいう「存在感の律動」でもある。古くからの「小熊座」同人

 には既知のことだが、現主宰や編集長、同人諸氏はその意思を継承しつつ、その上で自

 分独自の俳句の創作に挑んでいるというのが、「小熊座」の現在地である、ということだ。

 そのことをこの年頭に、改めて噛みしめて句作に臨みたいと思うのである。




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