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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (101)      2019.vol.35 no.405



         雪吊は雪の太弦音もなし           鬼房

                                   『半跏坐』(平成元年刊)


  景そのものは比較的容易に想起することが出来る。雪の庭園、雪が付着して「太」くな

 った「雪吊」の縄、静けさ。しかしながら、表現には少々屈折があるようだ。

  その一つ目は、「太弦」という語である。聞いたことのない言葉だ。「糸」でなく「弦」であ

 るから、何らかの楽器であることは想像できるが、辞書やらネットやらでいろいろと調べ

 てはみても、ついに正確な語義を知ることはできなかった。となると、この語は造語であ

 る可能性が高い。少なくとも一般に浸透している言葉ではない。つまり作者はわざわざ

 そうした語を用いて詠んだということになる。

  二つ目は下五である。「太弦」と、せっかく楽器に喩えたにもかかわらず、すげなく「音

 もなし」と躱して、作者はその楽器を鳴らさない。もし音がないのであればわざわざ「弦」

 などと喩えに楽器を持ち出してくる必要はないような気もする。

  だが、こうした表現上の屈折は、結局のところ徹底的な静寂を詠むために必要な措置

 なのだろう。そこには、在り得べき音の非在によって、静けさを一層際立たせるという狙

 いがありそうだ。無音の音とでもいうか、「音がない」というよりは「静けさがある」といっ

 た存在感すら持つ静寂の表現。であれば、「太弦」という語も、それを「音もなし」とする

 のも十分な必然性があるということになる。

                                    (宮川それいけ「澤」)



  雪吊の光景は美しい。雪吊に遭遇すると背筋を伸ばしてわが身を振り返りたくなる。

 雪があまり降らないところでも庭に雪吊がしてあると、その暮らしぶりや心意気が粋に

 感じられ、見ているほうも豊かな気持になれるから不思議である。雪吊の雪といえば、

 だいたい、縄ではなく樹木にこんもりと積もっていることが多いが、掲句はピンと張った

 一本ずつの縄にも雪よ、すーっと線状にのっかってくれよと願っている句なのではなか

 ろうか。日に晒されてささくれ立った縄では可哀そう。雪吊の縄は雪を載せてこそ、雪

 に濡れてこそ、音楽になり得るのである。「太弦」に「ふといと」とルビが振ってあるところ

 から判断して、雪がそのまま凍てつくような強い弦であってほしいと想い、縄に添って真

 っ白い雪が一本の弦のように撓る光景を、鬼房は待ち続けているのである。鬼房の雪

 吊の句を、他に〈雪吊りに手触れて鷁首(げきす)など想ふ〉(第八句集『何處へ』)〈雪吊りの縄目

 にはまりたき日なり〉(第十一句集『霜の聲』)の二句見つけたが、一句目の句に、見え

 ない音楽を雪吊に感じる鬼房の眼力を垣間見た。調べたところによると、鷁首の鷁とは

 中国で想像上の白く大形で空も飛べる水鳥のこと、船首にそれぞれ竜の頭と鷁の首と

 を彫刻した二隻一対の船を平安時代、貴族が池や泉水などに浮かべ、管弦の遊びな

 どをするのに用いたとあったからである。

                                            (津髙里永子)