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 小熊座・月刊  


   2019 VOL.35  NO.406   俳句時評



      八年目の 「震災詠」 考 ⑴
         ―永瀬十悟氏の深化する非日常の眼差し

                              武 良 竜 彦



  東日本大震災から八年目の春を迎えようとしている。震災直後に大量に詠まれた「震災

 詠」を分析して、それが孕む問題点を本欄で批判してきたが、今回も数回にわたり、改め

 てその後を振り返っておきたい。

  東日本大震災直後に詠まれた永瀬十悟氏の「ふくしま五十句」(角川俳句賞受賞)を含

 む前句集『橋朧―ふくしま記』の「あとがき」で永瀬氏はこう述べていた。

     ※

  私にできることは、汚されてしまった自然や暮らしに俳句で向きあうこと。日常は実

 は非日常からしか見えないのではないか。今これを心に刻まなければという思いでし

 た。


     ※

  この言葉は「非日常」の眼差しで、日常をよく見つめて生きることの大切さを述べられた

 「俳句表現論」の言葉である。文学足らんとする自己表出表現の俳句を詠むということは、

 「表層的な思い」を「詠嘆的に諷詠」する趣味とは次元を異にする。ものごとの奥に潜む本

 質に肉薄する「非日常的」眼差しで日々を生きるということだ。その結晶が2018年に上梓

 された『三日月湖』である。

  題名の解題も含む「あとがき」の一部を次に抄録する。

     ※

  句集名は「鴨引くや十万年は三日月湖」からとりました。私は学生時代に環境調査

 のために原発周辺に通っていましたが、その思い出の地が今は立入禁止となってし

 まいました。放射性物質が無害になるには十万年の時を要するといわれています。

 想像も及ばない時間です。ひとたび事故が起これば放射線の影響は取り返しのつか

 ないものとなります。しかし原発事故直後の脱原発の流れはいつの間にか変わって

 しまいました。被災地は置き去りにされ、取り残された三日月湖のようです。


     ※

  この句集では「三日月湖」が「帰還困難地」となってしまった被災地全体、場所だけではな

 く、そこにあったはずの暮らしと文化まるごとの棄民、棄村、棄文化の、見事なまでの文学

 的アナロジーとなっている。

  第一章「ひもろぎの村」には「原発事故により避難を余儀なくされた地は、神聖な場所の

 ように静まり返っていた」というパラフレーズが置かれている。「ひもろぎ」とは古語では「ひ

 もろき」といっていた神事で、神霊を招き降ろすために、清浄な場所に榊などの常緑樹を立

 て、周りを囲って神座としたものである。畏敬の念をもって、無人と化した荒涼たる「帰還困

 難地」が表現されている。

    逢ひに行く全村避難の地の桜

    棄郷にはあらず於母影原は霧

    楪や更地に残る屋敷神

    村ひとつひもろぎとなり黙の春


  第二章「三日月湖」には「原発事故後、放射線量の高い地域が三日月湖のように残

 された」
のパラフレーズが置かれている。

    除染袋すみれまでもう二メートル

  町は無人化しただけではない。放射性物質によって汚染された土を除染作業で詰めた

 袋が山のように積み上げられ、無人の地を日々侵略しその「領土」を拡張し続けているの

 だ。「すみれまでもう二メートル」の緊迫感に満ちた造形表現が見事だ。

    鴨引くや十万年は三日月湖

    月光やあをあをとある三日月湖


  鴨は越冬のために秋に日本にやってくるが、暖かくなると繁殖地の極東ロシア方面へ戻

 っていく。春になり北方へ帰っていく鴨の群れのことを季語で「引鴨」といい「鴨引く」という。

 そんな生物の生態的リズムの地球的命の様。句はそこで切れて、「十万年は三日月湖」と

 続くが、この「は」は曲者だ。素直に地球史的大地の変遷の永い時の表現と読んでもいい

 が、放射性物質の無害化に要する時間という途方もない環境破壊、人類への加害性を象

 徴する時間でもあるという知識は、原発事故によって一般人が知ることになったことだ。

  第三章「更地の過去」には「地震、津波、そして原発事故による避難で、多くの場所

 が更地となった」
というパラフレーズが置かれている。被災地の「更地」にフォーカスを絞

 った俳人はあまりいない。「復興」が可能な地なら、一時的に「更地」となって、建造物その

 他で埋め尽くされる期間限定の状態であり、短いその期間のことは人々の意識にすら留ま

 ることはない。だが、ここは「帰還困難地」という長い時間「更地」の状態に置かれる「非日

 常」が「日常化」した場所なのだ。

    どこまでも更地どこまでもゆく神輿

    夏草や更地の過去を忘却す

    更地とは片陰もなくなりしこと

  第四章「ふくしまの四季」 第五章では鮮やかな転調をする。詠まれているのは福島の日

 常と暮らしである。

  第六章「沈む神殿」の滅亡した文明の跡地へ思いを馳せる句群を経て、第七章「かなし

 みの星」に至って、無残に崩壊した原発の姿が「神殿」の喩で詠まれている。

    原子炉を海市に並べ海の国

    それからの幾世氷の神殿F

    神殿と崇めし建屋狐住む

    神殿に打ち寄する濤冬の雷

    何の廃墟か枯野の大円柱

  「明るい未来を開く原子力」と讃えられ、貧困に喘ぐ地方財政にとって原発を誘致して稼

 働させることは、金の生る木をただで植えることに等しかった。まさに経済神殿として人々

 が崇めていた日々こそが「非日常」の「日常化」という事態ではなかったか。だが神殿は崩

 壊し周囲を「帰還困難地」という場所とする狂暴な加害の凶器となった。

    泥土より生まれて春の神となる

    耕して握る真土やとこしなへ

  この句集が閉じられたその瞬間から、表現者、永瀬十悟氏の「非日常」の眼差しを携え

 た持続する志は、さらなる深化を遂げながら新たな時間軸を創造する旅に発つのだ。




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