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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (102)      2019.vol.35 no.406



         寒の明け頭たたけばごぼと鳴る          鬼房

                                   枯 峠』(平成十年刊)


  鬼房が俳句定型という形式に求めていたものは死と対峙しながら生を確認する作業

 であったように思う。同時作の 〈帰りなん春曙の胎内へ〉 〈観念の死を見届けよ青氷

 湖〉などをみれば言わんとしていることが見えて来る。つまり虚実の世界を描くことによ

 り言魂のもつ力を最大限に引き出すという作業が鬼房の俳句から見えて来るのであ

 る。それには、かって釜石から塩釜へ流れついたという流人の意識、戦争の中の青春

 体験、胃の切除などの大病の体験、などとは無縁とは言い切れないのである。

  掲句、「寒の明け」には、寒の明けたひかりと、春になるという開放感がある。一方、こ

 ころもち寒の余韻が残る頃の季節感がある。この確としない「寒明け」という微妙な季節

 感を捉えたのが「頭たたけばごぼと鳴る」である。この「頭たたけば」には「生」の確認作

 業が行われているのである。かつて「ごぼと鳴る」という擬音語を使う鬼房は珍しい。知

 る限りでは初めてか。いずれにしても『枯峠』の時代には俳虐味が大いに加わっている

 のである。「寒明け」イコール「ごぼと鳴る」の意識はたまらなくおかしいのである。言葉

 には一つ一つに大切な意味があることを、そして一つ一つに言葉の持つ力があること

 を作品を通して後世に残してくれたような気がしてならない。骨太に、そして愚直に斧の

 如く。

                                    (津久井紀代「天為」)



  鬼房師第十二句集「枯峠」の中で、「狐面」と題された平成九年の章の半ばにあって、

 「老懶の暁粥を三口ほど」や、「芋粥の五位を思へり寝床寒ム」など老衰感の意識を直

 叙された句(筆者も今やこの境涯にあり、実感がよく判る。)が幾つかその前にあるとこ

 ろから、掲句は「さあ、春が来るのだ。奮起しよう。」とばかり、起き抜けのあたまを自ら

 の拳で叩き、「老懶」かとの自意識を振り払ったかに見える。この「寒の明け」の措辞が

 新しい希望を暗示し、特異な効果を持って目立つのが何か重い液体が動いたような「ご

 ぼ」という擬声語である。それは頭蓋に響く脳髄の音か、あたかも寒の明け、川面の凍

 結が解けて流動し始める音の如くである。「ごぼ」と鳴らしたのは解氷の春を迎えて頭

 脳の活動を自ら誘う行為であった、と、これは掲句だけの感想である。この章の少し前

 には「吾とわが鍔迫り合ひの真冬なり」という切迫した気迫や「呪の象して枝垂れ消ゆ

 冬の花火」などの幻視イメージが凄く、ほかにも畢生の名作を含む句集である。掲句の

 すぐあとに「病ひよき日の恋雀見飽かざる」と機嫌の良い状態が伺へるもあり、年譜に

 依ると病も小康を得た年だったかと思われる。筆者、「小熊座」誌に始めての投句を送

 ったのが平成九年如月の砌で、ちょうど頭を叩かれたところであった。

  「枯峠」を読み返し改めて賛仰を新たにするのである。

                                            (増田 陽一)