2019 VOL.35 NO.407 俳句時評
八年目の「震災詠」考⑵
―短歌界の震災詠の視座
武 良 竜 彦
この「俳句時評」の頁で、震災直後、俳句界が励まし、同情的な類型句に雪崩を打った
現象を、統計的手法で論証的に批判してきた。今回は同じ震災直後、短歌界ではどんな
視座で表現がされていたかを検証しておこう。
原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で弁護してみた 岡井隆(『短歌研究』
五月号)
私たちが原発によって豊かさを享受してきた事実。その視座なしの原発批判の言辞など
偽善である。この視座がこの年の何人の俳人にあっただろうか。
まがつ火を北に負はせてぬばたまの首都死のごとく明るかりにき 水原紫苑
(『短歌研究』七月号)
知らざりき知らざりきとぞ繰りかへすしづのをだまきかの戦より 水原紫苑(同)
水原氏の原発事故詠には歴史的視座を欠いていたが故の、自分の加害性についての
悔悟の念が刻まれている。深刻な事故が起きてしまった後、原発批判詠をすることに含羞
を感じない者に欠落しているのは、水原氏のような、自分も加害者だという認識である。こ
の点でも俳人は甘い。
生き残りしものの簡素よさまざまな器抱へて給水を待つ 佐藤通雅(『短歌往来』
七月号)
掻き集め溶かしゆく雪その中にナンテンの葉の緑も混じる 佐藤通雅(同)
目に見えぬ放射能恐るる贅沢を遠目にすこちらは逃げ場などない 佐藤通雅(同)
これ以上「簡素」なことはないほどに喪失し尽くすこと、それが被災ということであると同時
に、本来的な命の姿に向き合っている清々しささえ感じる。生き延びるために水を得ようと
雪を溶かしている。その追い詰められた光景に、鮮やかに南天の葉が浮かんでいる。そう
詠むことで指示される言葉にできない思いの核心に触れる。放射能を恐れる「贅沢」とはま
さに急所を突いた表現だ。情報もなく怖がる暇もなく避難を強いられ「被曝」してしまった人
たちがいる。短歌の眼差しは個的な命の現実に寄り添い、その言葉は深部まで届く。これ
も俳句にはなかった表現である。
角川書店の「短歌」はこの年の七月号で、「震災復興祈念企画 希望のありか―東日本
大震災のあとに」と題した特集を組んでいる。同じ角川書店の総合誌だから、当然と言え
ば当然だが、「俳句」と同じく何か総合誌としての使命感のようなものがあるのか、同様の
集団圧力的言語を鼓舞する傾向がある。そのことに俳句界では小川軽舟氏だけが控えめ
に、「俳句に正義を背負え」と命じられているような違和感を抱いたことを表明しているだけ
だった。
歌人は挙ってそこを敏感に批判する。岡井隆氏はこの企画に応じつつ「自分が消える過
程」と題して次のように書く。
「自分を消してしまふといふプロセスの中で他者が生きてくる。あるいは集団(国家と
か村とか仲間とか)が生きてくるといふことがあり、非常な事態ではさういふプロセス
がありうるとは知つてゐた。しかし、『日本は一つ』とか『がんばろう日本』とかいつた
掛け声の中で自分を消すことはわたしには出来ない。わたしはたとへ集団や国から
拒否されても少数意見をもつものとして個でありたい。集団のうちに自分が消されて
しまふのはイヤである。」
そして氏の短歌は次の通り。
どうしても敵が欲しいと思ふらしいたとへば原発つて内なる敵が (ある感想 岡井
隆)
被害者代理的第三者目線で政府批判、東京電力批判をする者の精神に巣食う、自己の
加害者性認識の欠落に対する批判的視座がある。この視座も俳人には欠けていたのでは
ないか。高野公彦氏は原発事故が起きる遥か以前から次のような短歌を詠んでいる。
原子炉のとろ火で焚いたももいろの電気、わが家のテレビをともす (『水行』)
やはらかきふるき日本の言葉もて原発かぞふひい、ふう、みい、よ (『天泣』)
その高野氏は原発事故が起きてしまった後では、次のように詠むのだ。
福島に澄む秋の来よおほぞらに赤卒群れて飛ぶ秋の来よ (『短歌』の六月号「赤
卒」)
後出しジャンケン的正義感で、原発批判句を詠む俳人は恥を知るべきではないか。小島
ゆかり氏はこの企画に参加することに違和感を抱きつつも、震災詠ではなく、氏自身
が「見たいもの」と題して次の短歌で応えている。
ひもすがら泰山木の木をのぼり蟻が見たりし天上の花
死んだ子も山のきつねもこくこくと渓水を飲む青葉のころは
あぢさゐの葉にも枝にも蝸牛ゐてまひるのふかき雨音を喰ふ
楠の木の真下に立てばよみがへる百年前の夏空のいろ
この短歌を読むと、俳句界の、特に「励ましの一句」に見られた自然の災害からの回復を
詠むことで、被災者への間接的な励ましや希望などに繋げる俳句表現に対して感じた違
和感のようなものの正体が解る。
表面的な事象に囚われ過ぎて言葉が浮ついていたのだ。
被災者に「励ましの一句」をと、総合誌から求められて、それに無邪気に応じてしまう俳
人の意識に決定的に欠落していたのは、インフラの断絶した暗黒の寒さの中で凍えている
被災者たちに、電気瓦斯水道の整った暮らしをしている自分が被災者を「励ます」俳句を
詠むことに、違和感を抱くことのできる文学的感性と表現者としての最低限の矜持である。
長谷川櫂は『震災歌集』を2011年4月、中央公論新社から出し、東電批判短歌を披露し
てみせた。まだ歌人のだれもが何をどう表現すればいいのかと、大いなる迷いと苦悩の最
中にあった時期である。その時の「年鑑」の代表的歌人たちの座談会で、この長谷川の
「越境的」歌集出版行為が、厳しく批判されていた。その批判の要点は、私がここまで例証
した歌人たちのような視座の欠落という点であった。当然の指摘であろう。俳人たちはこん
な意識しか持っていないのかと、何か見下されたような気持ちになったことを覚えている。
そうではなかった俳人もいたのだ。次号からそのことを検証したい。
|