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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (104) 2019.vol.35 no.408
子の寝顔這ふ蛍火よ食へざる詩 鬼房
『夜の崖』(昭和三十年刊)
子どもと蛍を追って遊んだひとは少なくないはず。とはいえ、子の寝顔に蛍火の這う
家はそうはなかろう。縁側からほしいままに蛍が舞い込む寝床には、山の温気ととも
に渓川の瀬音も迫っていよう。作者は子どもの無心に眠る顔を見守ってため息をつく。
「ああ、俺は食えない文学、それもその最たる俳句なんぞにうつつを抜かしてどうしよ
うもない父親だ」
まっとうな生活意識と、俳句という文芸に賭ける矜持が胸をうつ。でも一句はそれで完
結するわけではない。
こころみに五七五を庭の飛石になぞらえてみよう。茶の湯の露地や回遊式庭園にみ
られるそれは作庭家の美意識の結晶である。石と石のずらしや間合いの変化を目と
足はともに愉しむ。はたしてこの三石組みはどうか。鬼がいる。
一つ目の「子の寝顔」がそのまま三つ目の石「食へざる詩」へ続くならばフラットな三
連打ちの飛石である。くせものは真ん中の石。熟睡子のうっすらとした皮膚を這う蛍火
は生活者の嗟嘆に着地するかにみせて、同時に混沌の闇へさまよい出す。
三連の石は虚と実に、憧れと悲傷とに引き裂かれる。飛石は宙吊りになる。
新興俳句、社会性俳句の正嫡の鬼房は常に生活リアリズムを志した。が、その天性
の資質はうらはらにすさまじい美を幻出することがあった。その魁の一句である。
(恩田侑布子「樸」代表)
掲句は同句集の中の 〈いねし子に虹たつも吾悲壮なり〉 に似ている。鬼房にとって子
を持つことは極めて幸せなことであった。それは 「子の寝顔」 や 「いねし子に虹たつ」
からも容易に想像がつく。しかし、そこに「這う蛍火よ」と続くと大きな陰りが生まれる。
蛍火が非業の死を遂げたものや戦死者を想起させ、ならば子には同じような災いがな
いようにと懇願したはずだ。
『夜の崖』が上梓されて程なく、日本の国民所得や工業生産は戦前のそれを大きく上
回り、 「もはや戦後ではない」 という言葉が生まれた。
しかし、鬼房にとって昭和25年の朝鮮半島を二分する紛争の勃発は対岸の火事では
なく、己に子に家族に火の粉が降りかかる戦として恐れたはずだ。同句集にある 〈戦あ
るかと幼の言葉の息白し〉 からもそれは伺い知ることができる。
続く下五の「食へざる詩」が不安定な社会や戦争で辛苦をなめた国が他国の戦で特
需を得るという不合理な状況を表現している。鬼房にとってはいつまでも戦後であり、
貧しく切ないのではないだろうか。
『夜の崖』の西東三鬼の序文には「観念を生かす方法を発見してゆかねばならない」
という鬼房への提示があり、『鹹き手』のムツオ主宰の栞には三鬼への十五年後の回
答がここにあると記されている。興味深い。
(𠮷野 秀彦)
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