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2019/8 №411 小熊座の好句 高野ムツオ
サイゴンの西日が背に憑依する 神野礼モン
平成25年5月NHK学園の企画でベトナムを訪れた。ベトナムの歴史に触れたり、
ベトナム戦争の爪痕を目にしたりすることが目的の旅であった。途上、チャンパ王国
のグエン王朝遺跡やホイアンの日本橋、そしてベトナム非武装地帯を見学した。チャ
ンパ遺跡にはベトナム戦争の銃弾跡が生々しく残っていた。かつての軍事境界線の
ヒエンルオン橋にも足を運んだ。周辺は非武装地帯とはいえ空爆を避けるため地下
に防空壕が掘られ、当時、住民はそこで暮らしていた。産室もあったと記憶している。
ヒエンルオン橋のたもとでは戦争で使用された枯葉剤後遺症による先天障害の子が
物乞いをしていた。ベトナム戦争はまだ終わっていないと実感した。
最終日はホーチミン市の観光。旧南ベトナム大統領官邸の屋上には大統領が官
邸脱出の際使用したものと同様のヘリコプターまで置いてあった。旅行後半を案内し
てくれたガイドの若者は、ここはホーチミン市ではなくサイゴン市だと語気を強めた。
サイゴンは言うまでもなく南ベトナムと呼ばれた頃の市名。今でもこの名を親しみを
込めて使う人が多いようだ。彼の姉二人は1975年のサイゴン陥落の際、ボートピ
ープルとなりアメリカを目指した。上の姉は無事渡ることができたが、下の姉は途中
で亡くなった。自分は日本へ行き日本語を学びたいと熱を込めて語っていた。この句
のサイゴンの西日は実に多くのことを迫ってくる。ベトナムが二つに分かれた原因は
フランスやアメリカに多くあるが、戦中の日本軍の侵略も少なからぬ影響を与えてい
る。ベトナム戦争を日本人も忘れてならないのだ。ベトナムを訪ねて6年が過ぎた。
しかし、サイゴンの西日は、この句の作者同様、私の背中にも未だ憑依したままだ。
はぐれゐてかはほり呼んでしまひけり 佐藤 茉
「かはほり」つまり蝙蝠の語源はいくつかある。川辺の洞窟に棲み川を守るので「川
守」、蚊を食べることから「蚊屠り」。蚊喰い鳥の別名はこれに拠る。翼の皮が薄いの
で「皮」を「張る」が「かはほり」に転じたとの説もある。蝙蝠はイソップ童話では獣と鳥
の間で状況で立場を変える卑怯者として描かれている。中国では「蝠」の字が「福」
に通ずることから幸運を招くと言われる。鹿児島では神の使いとの言い伝えも残る。
蝙蝠を不浄不吉な存在とする考え方は日本より西洋に多い。江戸時代の童唄では
蝙蝠は実に親しげに歌われている。この句の蝙蝠をどう鑑賞するかは自由。下五の
悔恨の色濃い表現からは、日暮れという時間の境目の畏怖と神秘と魅惑とが複雑に
絡まり伝わる。
むかさりの止め唄青田の返し唄 山田 桃晃
「むかさり」はここでは婚礼を意味する本来の形で用いられている。「止め唄」は長
持唄などの終曲部であろう。その返し唄が青田の中から聞こえてくる。歌っているの
はむろん一族の父祖に違いない。
踏まれても踏まれてもなお桜の実 後藤よしみ
子を抱いて揺れる大地に棲む螻蛄も 須藤 結
蕗の葉の逆子のように反転す 森 青萄
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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