小 熊 座 2019/9   №412 小熊座の好句
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    2019/9   №412 小熊座の好句  高野ムツオ



    老蛍闇に爪かくごとく飛び        渡辺誠一郎

  蛍は古来詩歌で最も関心をもたれている昆虫の一つ。和歌で蛍といえば

   物思へば沢の蛍のわが身より

      あくがれいづる魂かとぞ見る      和泉 式部

 であろう。「男に忘れられて侍りけるころ」貴船神社の御手洗川で詠んだと伝わる。

 「あくがれ」は「吾・処く・離かれ」と寺田透の『和泉式部』で知った。蛍が作者の内部か

 ら抜け出して何処へかと彷徨う。その蛍を驚きを持って見ている作者が見えてくる。

 『日本書記』には「蛍火之光神」が記載されているが、これは王権に逆らうあやかしの

 神のこと。つまり、蛍は制御不能の魂や存在を指す。それが「爪書き」しながら飛ぶ

 のだ。「爪書き」とは、筆も紙もない苦境にあって石や壁などに爪で搔いて記すことで

 ある。熊野古道には一遍が爪書きをした磨崖名号碑が遺ると聞く。佐藤鬼房も 「私

 の俳句を言えば地面に描く爪書きのようなもの。消えやすい砂地の場合もあるが、概

 ねは岩肌だから爪は裂け血がにじむ。描いたものも永く残ることはないだろうけれど

 も、しかし映像として私の網膜に映りつづけるだろう。」と泉洞雑記で述べている。こ

 の句の「老蛍」には、そうした鬼房の姿が二重写しになっている。

    一螢火落つ山裾の真暗がり        鬼房

 の句が脳裏に浮かぶが、飯島晴子の〈蛍の夜老い放題に老いんとす〉とも響きあって

 いる。

    耳掻きもこの世のものぞ半夏雨        中井 洋子

  惹かれるが解説しにくい句というのがある。なぜかわからないが惹かれるということ

 だ。これもその一つ。この世にある、些細なものが愛おしくなるのは、それだけこの世

 で過ごす時間が限られてきたことの裏返しであるわけだが、愛おしいものがなぜ耳掻

 きなのか。理由が判然としないもどかしさがそのまま魅力となっている。半夏雨は別

 名半夏水。この日に雨が降ると、そのまま大雨が降り続くという伝承が残る。物を腐

 らせ、時には病や死を招く雨。その鬱屈感が耳掻きへの執着を濃いものにしている。

    打水や戦中の子の駆ける声        関根 かな

  打水は昨今は料亭や老舗などで見かけるのみとなってしまった。かつてはどこでも

 見受けられた夏の風物。その打水のかたわらを腕白坊主が集団で走り抜ける場面

 もどこにもあった。腕白坊主たちは時間の彼方に消えてしまったが、今でも打水のた

 びに、歓声だけは水に濡れた土や石から甦ってくるのである。

    ダリア剪る揺れしものから悉く        須藤  結

  直立不動を強いられるダリア。寓意的だが、しだいにダリアが故なく処刑された悲

 劇の存在に見えてくる。

    銀漢の白を忘れてゐる流れ        吉沢 美香

  こうした恍惚とした天の川にしばらくまみえていない。まさにミルキーウェイ。

    我知らぬ我が大いびき梅雨の底      遅沢いづみ

    星屑の受け皿となり湖涼し          斎藤真里子

    ぼうふらの沈むときこそきらきらす     小田島 渚






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