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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (108)      2019.vol.35 no.412



         みちのくに生れて老いて萩を愛づ        鬼房

                                   『幻 夢』(平成十六年刊)


  改めて調べると、作者の生まれは岩手県釜石で、幼い頃に塩竈に移住し、十代の終

 りに一時東京に住んだが、すぐに塩竈に戻り、以後はそこで暮らし続けたということを

 知った。それを踏まえると、この上五中七は、作者が自らの出自と来歴を顧みている表

 現であることが分かる。ただ顧みるだけではなく、深く肯い、またいくらか誇りに思ってい

 る気持も感じられるのだが、それは下五の「萩」のもたらす効果である。萩は派手な園

 芸種とは違って素朴な野趣があり、楚々とした可憐な花である。長い人生を経て来て、

 しみじみと慈しむのに相応しく、この時の作者の心には老いの華やぎとも言うべき明る

 さが萌していると言える。

  萩はまた、歌枕である宮城野を代表する景物として、古くから和歌に詠まれてきた。

 私には土地勘がないけれども、地図で見るとかつて宮城野と呼ばれた一帯と塩竈とは

 そう離れてはいないように見える。となれば作者は、宮城野の萩に以前から深く心を寄

 せていたと推測される。そういう意味でも、この句の下五が「萩を愛づ」であるのは、ま

 ことにしっくりと調和していると納得できる。

  句集『幻夢』は作者の遺句集であり、最晩年の句が収録されている。死を意識した句

 も多い。掲出句もまたしかりだが、死を意識しつつも穏やかで温かみさえ感じさせると

 ころが印象的である。

                                    (村上 鞆彦「南風」)



  〈みちのくに生れて老いて〉鬼房は句の出だしを平易な口調でこう滑り出し、優しく〈萩

 を愛づ〉と収めている。しかし読者はこの語間に畳み込まれた、幾多の艱難辛苦を感じ

 取らなくてはならない。貧困、兵役、病苦とを踏み越え踏み越えし、やっと萩を愛ずる境

 地に辿りついたのだ。それらの作品の数々は生活と闘う中から、生まれたと言うよりも

 絞り出して得られたものだったに違いない。

  最後の句集『幻夢』に収められている作品をなぞってみると、ある時は青年兵の頃の

 南溟に赴き、ある時は地の果まで駱駝に乗って彷徨し、死と隣り合わせの日々でさえ、

 寒雀や蝶の儚い命を慈しみ、翅を欠いた蟻となって詩の世界を出入りする。もう、そこ

 にはかつてのようなギラギラした反骨精神は影を潜め、穏やかな悟りの境地さえ感じら

 れる。

  同郷岩手の大先達である、石川啄木や宮沢賢治の文学性を踏まえ、更に一生活者と

 して反骨の気概を旗印に掲げて進んで来た鬼房ではあったけれども、『幻夢』に限って

 言えば、この句集には鬼房の上澄みのようなエキスのようなものが満々と収めてある。

  単純に懐旧の念による〈みちのくに生れて老いて〉ではない。我々はこの珠玉のような

 作品を辿りつつ、その背景にある世界を共有出来るよう努めたいものである。

                                            (阿部 菁女)