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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (111) 2019.vol.35 no.415
夜桜や小人になれば死なず済む 鬼房
『幻 夢』(平成十年刊)
美しくも、不思議な句である。「小人(こびと)」と読むのであろうか。
大病をされ、病気がちであった鬼房には、死を見据えた句や、現世と彼岸の境界にあ
るような句が散見される。
夜闇のなかで、光に浮かび上がる桜は、妖しいほどに美しく異界へと誘うようである。
白色とも薄紅色とも見える無数の小さな花びら。この中に紛れたら、生死を超越した永
遠の命を受けるかも知れない、桜の精となり。
最後の句集『幻夢』に収載されている。平成八年の句である。前々句集『枯峠』(紅書
房 1998.9)からの拾遺である。鬼房の死後、遺志をついで長女の山田美穂氏によって
出版された。
「みちのくに鬼房あり」と言われるほどの俳人であったが、最期まで、謙虚で真摯な一
介の人間として、俳人として生き抜いた鬼房であった。だからこそ惹きつけて已まない。
表紙は、薄墨色の地に白墨か白いクレヨンのような筆跡で、デフォルメされて「幻夢」
と書かれている。表紙自体がタブローとなっている。鬼房題字と記されてある。とてもプ
ロの書家ではこの味は出せないと思う。一芸を極めた者の凄さを感じる。その白い線
の周りに、鬼房は小人となって、確かに、生きている。いや、分子となり、原子となり、中
性子となって、電磁波となってこの宇宙に浮遊し確かに生きている・・・
(高橋比呂子「豈」「LOTUS」)
桜の「さ」は榊の「さ」に通じ、神を表す。また、桜の「くら」は漢字では「座」と書かれ、
高く設けられた場所の意。このことから、桜という言葉には「神座(かみくら)」という意味
がある。
神聖な桜。昼の桜はもちろん美しい存在だが、ライトアップされ幻想的な光景となる夜
桜には、昼の桜と同じとは思えないような美しさがある。夜桜の方がより妖艶であり、神
座としての神秘性は高い。
さて、鬼房師がどこで夜桜を眺めていたのかは定かでないが、夜桜の映像は「小人に
なれば死なず済む」と呟く師の姿に切り替わる。小人とは、人間に近い容姿を持つ神や
精霊等のこと。師は、生死を超える存在として、超自然的な能力を持つ小人になれば
死ななくて済むのだと言う。それは、生死を超える存在として生き続けたいという意志の
表れでもある。
高野主宰は、「鬼房が俳句形式に求めたもの。それは死と対峙しながら死を超えて生
きる力を授かることであった。 (中略) 鬼房は、五・七・五というたった十七音に、自らの
死後までを託した。俳句という最短の詩型に、かつて古代人が言霊を信じたと同じ力を
求めた。」と説く。小人とは、死を超えて生きる力の心象のこと。「願わくは花の下にて春
死なんその如月の望月のころ」の思念を超え、永久に生き続ける句を遺さんとする情念
の深さが伝わってくる。
(佐竹 伸一)
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